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森林水文学研究者に聞く「緑のダムのためにできること」
森に雨が降る。
雨粒は樹々の間を通り抜け、また幹を伝って、あるいは葉で集められて、地表へ届く。ミミズなど土壌生物がフカフカにしてくれた土壌の隙間に水が入り込んでから、ゆっくりと下向き、もしくは斜面に沿って斜め下向きに移動していく。そこへまた雨が降り、その圧力で押し出され、地下水となる。
濾過された水が集まって川へ注ぎ込み、やがては海へ辿り着く。海の上で陽の直射や気温上昇により雲ができ、再び山へ移動し再び雨を降らせる。
太古の昔から続けられてきた、壮大な水の旅。雨を受け止め、ゆっくりと流す森林は、水の循環の中で大きな役割を果たしてきた。こうした水源涵養(かんよう)機能によって洪水と渇水を和らげることから、森林は『緑のダム』とも呼ばれている。しかし、日本の森林の現状は、そうした森林の機能にも様々な影響を与えている。
私たちグローブライド株式会社も、長野県が推進する「森林(もり)の里親促進事業」に賛同し、微力ながら2005年より日本の森林保全活動に努めています。

「緑のダム」を弱らせる不健康な森とは
さて、いったい何が問題なのか。
森林と水循環の関係を研究している東京大学大学院の蔵治光一郎教授にお聞きしてみた。 「日本の森の4割は木材生産だけを目的に、広葉樹林を伐採して作った人工林です。その8割が1955~1970年の15年間に造成されたものです。人工林には本数を多く植え、計画的に間伐を10年毎に3回ほど行うことを前提に植えられています。そのため、間伐を怠ると細くヒョロヒョロとした木がたくさん生えている状態になってしまいます。すると林内が暗くなり、保水作用を発揮する土壌が流失してしまい、『緑のダム』としての機能が弱った『不健全な人工林』になってしまうのです」

また、近年は野生動物による「獣害」も増えており、それが『緑のダム』としての機能にも大きな影響を与えているとされる。
「獣害には、動物が人間を襲うという害や、農作物を食い荒らしてしまうという害などもありますが、水源涵養機能を衰えさせるという害もあります。実は、下草には土壌流出を防ぐ機能があるのですが、野生動物はその下草を食べてしまうだけでなく、ケモノ道も作ります。そのため、イノシシやシカなど野生動物の数が増え過ぎると土壌流出の原因になってしまうのです。また、林業などでは伐採した森林に苗木を植えても野生動物が食べてしまい、植林が失敗することもあります。これもまた1つの獣害ですね」
現在、日本の各地で獣害対策を行っているが、獣害を防ぐには人が山に入って手入れをすることも大切なのだ。

森を健康にするために考えるべきこと
では、水源涵養機能を上げるためには、どうすればいいのだろうか。
それは、間伐をはじめとした森林の手入れを継続的に行うことだという。
「水源涵養機能という面に限って言えば、地域によって適切な間伐率はそれほど変わりません。しかし、1haあたりの植林本数は地域ごとの伝統や時代、リーダーによっても異なります。関西などは地域性から間伐率を抑える傾向にありますし。間伐する上では、こうした歴史的・伝統的経緯を踏まえる必要があるでしょう」
加えて気候条件も考慮する必要もある。
「間伐率を上げると、一時的に風や雪の影響を受けやすくなることがわかっています。もともとポツンと一本だけ立っている木は、重心が低くなるよう幹の下の方まで葉や枝を伸ばし、風や雨、雪などに耐えられる形に育ちます。しかし、密集して植えられる人工林では、葉や枝は上部に集中していて重心が不安定です。そのため、木と木は物理的に支え合っています。そのため、風の日に人工林に行くと、木が同じリズムで揺れているのがわかるでしょう。そうした人工林でいきなり大量に伐採すると、残された木は支えを失ってしまいます。すると、風が吹くと揺れ幅が大きくなりますし、雪の影響も強く受けてしまうのです」
法律で求められる地下水マネジメント
水を育み、洪水や渇水を和らげる機能を持つ森林。国土の総面積3分の2が森林に覆われている日本では、森林の管理が欠かせない。しかし木材価格の低下、少子高齢化や林業の担い手の減少など、様々な課題が山積し源流地域だけで解決するのは難しいのが現状だ。
「日本では法律上、河川は国土交通省、農業用水は農林水産省、水道は厚生労働省、水力発電や工業用水は経済産業省、環境は環境省といったように区分され、『どこを流れているか』『誰が使っているか』によって管轄の省庁が異なっていました」
そのため、工業用水、農業用水、生活用水として使う人たち、そして水源を守る人たちがバラバラに動いていた。その水がどこからきているか意識されることも少なかったはずだ。
「こうした中、自分たちが使う水の源流域に森林を購入し、水源を守ろうとする意識の高い事業者も出てきています。また、源流地域を中心に流域連携が行われるようになり、全国的に広まっていきました。こうした気運を受け、国民の貴重な財産を合理的に管理できるよう、2015年に水循環基本法が誕生したのです」
水循環基本法の意義は、森林の雨水浸透能力または水源涵養能力の整備について施策を行うことを初めて法的に位置付けたものだ。
「降った雨は大きく分けて地表水と地下水になります。地表水は川を流れているので、河川法によって管理者が定められていますが、地下を流れる水については法律がありませんでした。しかし、水循環基本法では流域の自治体ごとの計画的な地下水マネジメントと森林管理が求められています」
蔵治教授は学識者として、水循環基本法のフォローアップ委員会の委員を務めている。 「水循環基本法では、流域の関係者で協議会を作り、議論して水の管理を進めることになっています。また、行政の中に水をトータルに扱う部署を設け、現状の縦割り管理を徐々に外していくための計画作りも行われています。さらに、その先々には水庁を作ったらいいのではないかという意見も出ています。しかし、水循環基本法には強制力がないため流域協議会がない地域もたくさんあります。また、地域によって地下水の状況も利用状況も異なります。地下水に関する条例は全国で700〜800あると言われており、地下水マネジメントに関して全国一律のルールを設けるのは難しい状況です」

林業のかっこよさを子どもたちに伝えよう
地下水の状況を把握するには、まだまだ様々なハードルがあるが、健全な水循環を守る法律ができたことは、大きな意味を持つと言えるだろう。
そして、水源を守っていく上で欠かせないのが、林業の担い手だ。
「間伐をする補助金はあっても、担い手がいなければ間伐作業が進みません。林業の仕事はかっこいい仕事であると、幼少の頃から子どもたちに教育することも必要でしょう。子どもたちを林業現場へ連れていき、仕事を見せるとか、林業者が子どもたちのいる園や学校に行き、カッコいい仕事を実演するのもいいでしょう。そして、カッコいいだけでなく国土保全の根幹を担っていることを教科書に書き、授業の中で学んで欲しいですね」
大学で教鞭を執る蔵治教授は、様々な学部の1〜2年生を対象に森林リテラシー教育を行なっている。
「森林の現在の姿は半世紀以上も前の人間が理想と考えた姿なのです。次の半世紀後の未来社会にどのような森を残せるか・・・、今の人間が考え実行しなければ実現できません。学生たちには森林に対する正しい認識を持った上で、それぞれの専門分野に進んで欲しいと思っています」
蔵治教授が示すように、法律や行政さらに教育と広く様々な分野で、水の循環と森林に関する正しい理解する社会の実現、サステナビリティの浸透とともに、その動きがさらに広まっていくことだろう。

- 蔵治 光一郎(くらち こういちろう)
- 東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林教授(企画部長/森林流域管理学研究室)
東京都出身。東京大学農学部林学科を卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了。2017年より現職。
「気持ちよく納められる森林環境税とは?」(東京大学演習林出版局)ほか編著書多数。
写真=田丸瑞穂
文=吉田渓