Compass 様々な専門家が語る明日の針路。
地球温暖化の新たなキーワード「海洋熱波」とは?
「海洋熱波」といった言葉をご存知だろうか?
聞き慣れないかもしれないが、今、かつてないほどに日本周辺の海の温度が上がっており、そのため大気や陸域に大きな影響が出始めているようだ。相互に影響し合う海と大気。温暖化の新たなるキーワード「海洋熱波」に注目してみた。

作成:気象庁、東京大学、北海道大学、海洋研究開発機構
人類が温暖化と向き合い始めて、既に何年が過ぎただろうか。公式的にはおそらく1985年にオーストリアで開催された地球温暖化に関する初めての世界会議を機に、二酸化炭素による地球温暖化の問題が取りあげられるようになったはずだ。今日では、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガス削減の重要性については一定の理解が進み、企業や自治体、個人レベルでも様々な対策が進められているが、それでも地球は温暖化し続けている。
日本における2023年と2024年の夏の暑さは記憶に新しいことだろう。私たちが暑いと感じるとき気温の高さを考えるが、温室効果ガスの影響で大気の温度が上がっている、と想像するからだ。
もちろん、それは大きな間違いではないのだが、実は海水温の上昇も大気の温度に大きく関係していることが分かってきた。
今回は、東京大学先端科学技術研究センター・中村尚教授に温暖化研究の注目キーワードである「海洋熱波」について教えていただいた。
今回のキーワード「海洋熱波」を説明いただく前に、自然変動と気候変化について先ずは触れておきたい。
私たちは「猛暑」や「豪雨」などの極端な天候については、一般的に「気候変動」と表現をしているはずだ。人為的な温室効果ガスの影響で気候が変わったと考えているのだが、気象庁「異常気象分析検討会」の会長も務める中村さんは「気候は変動しつつ変化している」と説明されている。
自然はもともと揺らぐもの。つまり、変動しているのは当たり前のことであり、自然変動と人為的な気温上昇という変化が重なることによって、私たちの想像を超えてしまいそうな状態になってしまった「気候」ということだ。
「猛暑や冷夏、大型台風は昔もありました。自然は揺らぐものですから、暑かったり寒かったり、多少の自然変動は毎年あるものなのです。私たちはその揺らぎと長年うまく付き合ってきました。ところが1980年代あたりからその揺らぎに気温を上昇させる人為的な変化が上乗せされるようになりました」
自然変動が気温上昇に上振れる時に温室効果ガス排出などの人為的な気温上昇の要素が加わることで、さらに気温を押し上げることになってしまったのだ。そして、その人為的な気温上昇という変化は、今日ますます気温に影響を与えるようになっている。
もしかしたら、私たちによる二酸化炭素排出など人為的な温暖要因が、自然本来の揺らぎにも影響を与え始めているかもしれないのだ。

右の一表を見て欲しい。夏季の日本域の平均気温偏差(平年との差)推移をご覧いただきたい。前述のように、自然本来の揺らぎのため年によって上下に大きく変動していることが分かる。但し、1980年頃から上昇傾向となり、注目すべき2023年2024年に至っては気温が急上昇している(黒線=各年の基準値からの偏差、青線=偏差の5年移動平均値、赤線=長期変化傾向)。
さて、本題であるの「海洋熱波」に戻そう。
「海洋熱波とは、過去数十年と比較して海水温が極端に高い状態が続く現象です。海水温が高い状態が続けば、大気の温度にも影響を及ぼすことが分かってきています。日本は海に囲まれている国ですから、海洋熱波の影響はとても大きくなり得るのです」

極端に暑い夏だった2023年を例に、中村さんが説明して頂こう(※1)。
2023年の平均気温は、気象庁によれば平年値との差が北日本で+3.0℃,東日本で+1.7℃,西日本で+0.9℃であった。この気温の平年差は、1946年の統計開始以降で北日本と東日本で一番の値、西日本でも一番とタイの値であった。特に北日本では6月から8月までの各月で歴代トップの値となる記録的高温で、地域別でも北海道・東北・関東甲信・東海・北陸・中国で歴代トップ、近畿でも歴代トップタイを記録する。しかも北ほど平年との差が大きく,気温の南北差が縮小した結果と言える。
「2023年は、梅雨明けがやや遅れたものの、7月後半の梅雨明け以降から顕著な高温を記録しました。猛暑日の全国累積地点数は8月末に過去最多となったのです(当時)。8月に入ると日本海側でフェーン現象の影響もあって夜間も気温が下がりにくくなり、新潟県糸魚川周辺では最低気温で歴代最高値(31.4℃)を観測しました」
歴代記録を更新するような気温が各地で観測される中、実は海水温も上昇していた。
2023年の夏は、北日本東方沖や日本海中部を中心に海面水温が平年より顕著に高い海洋熱波状態になっていたのだ。特に北日本東方沖(三陸沖周辺)では海水温が過去最高で、海面水温が平年比+5ºC、100m深では何と平年比+10ºCにも達した海域もあった。海面表層ならまだしも、海面から100mも深いところでこんなにも水温が上がっていたとは本当に驚きだ。



この異常な高水温は、黒潮続流の北上と親潮の後退が根本原因だと考えられている。
黒潮は南から日本の太平洋沿岸に沿って北上する海流だが、房総半島あたりで流れを東に変える。ここからを「黒潮続流」と呼ぶ。ところが近年、黒潮続流の異常な北上が続き、南からの温かい海水が三陸沖まで北上し、時期によってはそこから離れた暖水渦(※2)が北海道沖あたりまで北上するようになってしまった。また同時に、北方から流れてくる冷たい親潮が後退する(南下しない)という現象も起こっている。
「黒潮続流の北上によって、三陸沖は海水の深いところまで水温が上がりました。このように海水深部まで温度が上がると、大気そして沿岸域への影響が加速してしまうのです」

夏の時期は「高気圧に覆われ強い日射で陸地が温められても、涼しい海風が陸地を冷やす」というのがこれまでの沿岸域の常識だった。ところが黒潮続流の北上によって海水深部まで温度が上がったことで海洋熱波状態となってしまった。その結果、海風そのものが冷たくなくなったため、陸地の温度も下がらなくなったのだ。
「水温の高い海が大気を温め続けることで、大気最下層の気温も高まり、かつ下がりにくくなりました。また、海水温が高くなれば水蒸気が多く発生します。あまり意識されていませんが、水蒸気には温室効果があります。海から大量に放出されると温室効果が強まり、ますます海や陸地を温めてしまうのです。さらに、水蒸気を含んだ空気が上昇して上空で冷やされると雲になりますから、海から大量の水蒸気が発生することで大雨や大雪をもたらす可能性が高まります」

中村さんによると、日本では極端な大雨の頻度が増加傾向にあるという。日降水量300mm以上の大雨の年間発生回数は、最近の10年は1980年頃と比べて約2.1倍になっている。温暖化による気温上昇と海面水温の上昇に伴って大気中の水蒸気量が長期的に増加傾向にあることが、背景要因ではないかと考えられている。
梅雨末期になると、北上した梅雨前線に向けて熱帯からの水蒸気を含んだ温かい季節風が日本列島に流れ込みやすくなる。以前は、その気流が日本近海で冷やされて安定化したため、条件が整わない限り、豪雨をもたらすような積乱雲は発達しにくかった。
ところが、最近は日本近海の海水温が上がり、水蒸気を大量に含んだ熱帯からの気流があまり冷やされなくなった。そして不安定性を保った気流が山などにぶつかって持ち上げられると、たちまち積乱雲を発達させ、日本列島に大雨を降らせるようになってしまったのだ。
「日本列島は山が多く平地が少ない「山がち」な国土なので積乱雲発達には非常に適した地形です。それはすなわち、土砂災害や水害の潜在性があるということです。これからの日本は猛暑や大雨だけに備えるのではなく、複合災害への備えも必要となるでしょう。そして、これらの背景の1つに『海洋熱波』の存在があることは知っておいて欲しいと思います」
温暖化を考える際、気温の上昇ばかりを気にしていたが、その背景に海水温の上昇が大きく関わっていたことは驚きだった。地球はさまざまな要素が複雑に関係しあい温かくなっているのだ。特に「黒潮続流」の北上現象が続いている日本では、地球温暖化とともに「海洋熱波」も新たなキーワードとして理解しておくことが必要だろう。
様々なメカニズムをきちんと知っておくことが、明日にも起こり得るかもしれない異常気象などに備えることもできるはずだ。
※1:2024年夏(6~8月)の平均気温も平年より1.76℃高く、2023年夏と並んで1898年に気象庁が統計を開始して以来、最も暑い夏となった。
※2:周囲の海水温よりも高い渦で、直径は数十kmから数百kmの大きさになることもある。
<参考>
・日本の夏平均気温偏差
https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/sum_jpn.html
・2023年夏の天候特徴
https://www.data.jma.go.jp/cpd/longfcst/seasonal/seasonal_202308.html
・全国(アメダス)の日降水量300mm以上の年間日数
https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/extreme/extreme_p.html

- 中村尚(なかむら ひさし)
- 東京大学先端科学技術研究センター・教授(現シニアリサーチフェロー)。
気象庁「異常気象分析検討会」の会長でもある。
資料・画像提供:中村尚
取材原稿:帆足泰子