Story

#015 青木唯さん
「新天地アメリカで追う夢の到達点」(後編)

2025.07.11

日本の舞台で確かな実績を積んだ青木唯選手は、さらなる高みを目指し、新天地・アメリカへと舵を切った。
勝負の舞台は広大で、文化も言葉も違う異国の地。
それでも彼は「トーナメントで生きる」ことを選んだ。
後編では、アメリカでの挑戦の日々、勝利の裏にある葛藤と成長、そして“夢中”で進み続ける姿に迫る。

突き動かされた、突然のアメリカ挑戦

デビュー以後、数々の大会で優勝を重ね、順調に進んでいたプロ生活
そこへある日、突き動かされるように芽生えたアメリカへの思い

――いつぐらいにアメリカに行きたいと思ったのですか?

2022年の夏、桧原湖でトーナメント練習の移動中、自分のこれからのことを考えていたら、ふと「アメリカ」が浮かんできたんです。「このままトーナメントでやっていくならアメリカかな」と。

――唐突に?

はい。以前に青木大介さんの動画でバスプロを志す決心をした時のように、今回も「アメリカでやるんだ」という想いがストーンと落ちてきたんです。その日の夜にはダイワの方に「アメリカへ行くので協力をお願いします」と電話していました。

――それまでアメリカの情報は?

まったく見ていませんでした。日本の情報しか知らなかったんです。でも突然「自分がやるならアメリカだ」と浮かんできて。理由は正直、いまもはっきりわかりません。ただ、僕の強みはトーナメントでの勝負強さだと思っています。それを最大限に活かせるのはアメリカだと感じたのかもしれません。

――日本ではトーナメントだけでは成り立たない部分もありますもんね。
そうですね。日本だとメディア出演やタレント的な活動も求められる。でも僕は、純粋にトーナメントを極めたいんです。そう考えたら、やっぱりアメリカが舞台だなと思いました。

広大な自由と命がけのトーナメント

圧倒的な「広さ」と「自由」に戸惑いながらも
それでもここが自分の戦う場所だと確信した

――昨年、2024年にはじめてアメリカに行ってみてどうでしたか?

まずスケールの違いに圧倒されました。とにかく広い。そして、人々の動きを見ていても「自由だな」と感じました

――アメリカでのトーナメントに出場した時に日本との違いや印象に残っている思い出、感じた事とかありますか?

日本以上に命がけでしたね。危険ラインもゆるいので、ギリギリまで自己責任。でも、だからこそおもしろいんです。バスマスターの運営は歴史があり、イベントの完成度や文化の厚みも段違いでした。純粋に「釣りを楽しむ」空気にあふれていて、選手だけでなく、家族や観客も一緒に盛り上がっている。そういうところから、ものすごくアメリカ気質を感じました。

――それは、最初に進路を迷っていたころに思っていた「生計のための仕事」ではない世界にきた、という実感がしたのではないでしょうか?

はい。優勝した瞬間に「こっちに来てよかった」と心から思いました。お金のためだけじゃない、本当にやりたかった場所にたどり着けた気がしています。いや、まだ途中かもしれないですけど、少なくともそのフィールドに立てているという実感はあります。

言葉の壁、孤独、それでも前へ

1000km先の会場への移動に2日かかるとかは当たり前
夢を抱いて降り立ったアメリカでの直面する厳しい現実

――釣りそのものの苦労は楽しめる部分もあると思うのですが、アメリカに行ってみて、一番しんどかった経験ってありましたか?

やっぱり言葉の壁ですね。何をするにも伝えられなくて。しばらくいるとリスニングはできてくるんですよ。それに対して僕からはうまく返せないのがストレスでした。いまはアプリや通信教育で少しずつでも英語に慣れる努力をしています。

――アメリカでのサポート体制はダイワを含めいろいろあったと思いますが、そういうサポート体制って自分でお願いしに行くんですか?

はい。「アメリカ行くので協力してください」と一社一社お願いしました。プロとしてセルフプロデュースも同時にやっていかないといけないんですよね。

――そういうのって、魚を釣るのとはまったく違うジャンルの作業ですね

そこはプロとしてやっていくためにはやらなければならない。楽しい話ばかりじゃなく、お金とかの厳しい話もしなきゃいけないし。でも逆に、そうやって関わってくれる人が増えていくことで、みんなの顔が見えるようになるんです。そして優勝した時には「この人たちと勝ててよかったな」と思えるんです。ひとりで勝ち取ったわけではなく、チームで僕が最後にゴールを決めているだけであって、そこには期待を込めて何回もパスをくれる方々がたくさんいます。だから、その人たちと一緒にまずは一つアメリカでトロフィーが取れたことは本当に嬉しかったです。

――孤独な作業に見えるのですが、そうではないのですね

ほとんど孤独です、基本的には。でも、精神的には、周りに支えてくれる方々が一緒にいるつもりでやっているし、それはもう常に肌で感じています。

勝負を決めたターニングポイント

「孤独」だけど、決して「孤立」はしていない
流れを読む鋭い眼差しと、それを支えたものとは

(C) B.A.S.S

――優勝した試合中、ターニングポイントになった判断とか戦略みたいなものって、ご自身で振り返ってみてありましたか?

初日の正午過ぎたあたり。

――かなり早いですね

そこがおそらく優勝できるかどうかの境目でした。試合前の3日間の練習では「上位には入れそうだ」という感触があったんです。
初日の正午ごろには賞金圏内に届くウェイトを釣ることができました。しかし、このままでは優勝には届かないと感じ、新しい場所を探そうと自ら判断したんです。その決断が結果につながったと思います。
アメリカは日本以上に状況がどんどん変わるので、すぐにシフトする必要がある。その経験が活きました。あの時点で「この試合、1位か2位だな」と確信していました。


――かなり早い段階で見切りをつけて動けたんですね

日本でも瞬時に見切るタイプでしたが、アメリカに行ってからそのテンポはさらに速くなりました。日本は「そこにいる魚を釣る」釣り、アメリカは「動く魚を追う」釣り。日本とアメリカのイメージ通りですね。

スポーツ選手としてバスフィッシングを極めるために

新しいフィールドでの優勝を経て
胸に秘めているさらなる目標

――今後の目標は具体的に決めるタイプですか?それとも遠くにぼんやりあるタイプ?

トーナメンターとしての最終的なかたちはぼんやり見えていますが、今年はこのぐらい、という近い目標も同時に持っています。どっちの視点も持っている感じですね。

――じゃあ長いほうの視点でお伺いすると、そういう意味で今後の目標ってどこを見据えている感じですか?

僕は釣りのトーナメントは本当のスポーツとして捉えているので、サッカーやゴルフの選手のようなトップクラスのスポーツ選手と並ぶ存在になりたいと思っています。

――たとえば世間的に「いま、バスフィッシングの選手すごいらしいよ」みたいなムーブメントを起こしたい、みたいな?

そういう貢献もできたら嬉しいと思いますけど。やっぱり簡単なことではないですよね。

夢中で追いかける、終わりなき挑戦

アメリカでの手応えを得た青木唯にとって 
「夢を叶える」とは


――アメリカでの挑戦やこれからのことについて不安はありませんでしたか?

やっぱりバスプロになるって決めた瞬間もリスクでした。でも、リスクを取ったほうが楽しい方向に進めるとわかっているので、迷いなくアメリカを選びました。

――じゃあ不安だけどいまここにいるのは間違っていないって思える?

はい。アメリカ行こうって考えてる時も「アメリカ行って大丈夫かなって、不安だな、やばいこともいっぱいあるよな。じゃあこっちだわ」ってなったんですよ

――「じゃあこっちだわ」になるんですね

不安だから自分のすべてをかけなきゃいけない。だからこそこっち、なんですよ

――アメリカで優勝して、夢を叶えたっていう実感はありますか?

まだないです。まだ途中という感じです。夢を叶えるって、ほかのことがどうでもよくなるくらい、そのことに対して夢中になることだと思っています。きっと夢を叶えてしまった後、幸せか不幸せかでいったら、もしかしたら不幸せかもしれない。僕はまだ「いま、幸せの途中にいるな」という認識だし、その環境を与えてくれているまわりの方々には感謝しかないです。

――いまは夢中で追いかけている状態?

そうですね。もうそれしか考えていないです。でも、何かひとつのことを夢中で追い続けるって、環境的にも本人の資質的にも簡単なことじゃない。ほかにやらなければいけないことがあったり、お金がなくてできないという壁とか当然出てくると思うんです。でも、夢中になっていればほかの嫌なことも完全に嫌じゃなくなるわけではないですが、自然と乗り越えられるんです。学生のころのバイトや練習の時間も本気でやろうと思っていたら効率よくできるはずなんですよ。結局それをただ続けていくだけだと思っています。

――たぶん、「夢を叶える」っていう質問自体がまだ早いのかもしれませんね。

そうですね。まだ夢中で追いかけているし、僕も終着点がどこかまったくわかりません。


日本で実績を積み重ね、いま、さらなる挑戦の場をアメリカへと広げた青木唯選手。
あえてリスクのある道を選び、挑み続けるその姿には揺るぎない意志と覚悟がにじむ。
「夢中で追いかけること」。
その純粋でまっすぐな姿勢は、挑戦を志すすべての人に、静かな勇気を与えてくれるだろう。

■プロフィール|青木唯

1999年生まれ、山形県出身のトーナメンター。2021年から日本のバストーナメント全国トレイル(JB TOP50、JB マスターズ)に参戦開始。2022年、2023年と日本のトーナメントシーンを席捲。2022年河口湖における大会では、全9戦中8戦優勝(内1試合は準優勝)と無敵と称される。2023年はJB TOP50小野湖戦にて優勝を飾り、オールスタークラシックの出場も果たした。
メーカースポンサーはDAIWA/SLP WORKS/DSTYLE/SDG MARINE。
藤田京弥が唯一ライバルと呼ぶ程の実力の持ち主。

2021年からDAIWAと(リールとアパレル)契約。

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Text by rui
Photograph by Sean Hatanaka

Storyとは「ライフタイムスポーツを楽しむ人たちの物語」

私には私の、あなたにはあなたの。スポーツの楽しみ方は人それぞれ。
⾃然の中で⾝体を動かすライフタイムスポーツを楽しみながら、人生を彩り豊かに過ごしている方は活力があり、魅力にあふれています。 その方たちは決してプロばかりではありません。
このコンテンツ「Story」では様々な楽しみ方で、自然とスポーツとともに日々を過ごしている人たちを取材し、ライフタイムスポーツの魅力とは何かをコンテンツを通して皆さんと一緒に感じていきたいと思っています。