Story ライフタイムスポーツを楽しむ人たちの物語。
#017 ポール・イングラムさん
「自転車で巡る日本、食の旅:鹿児島から東京まで」(エピローグ)
イギリス人映像作家のポール・イングラムさんはこの春、自転車で日本を横断する旅を敢行した。
その目的は、「日本食」をテーマにした映画を制作することだった。
彼はもともと「自転車乗り」ではないという。
2カ月にわたるその旅は、どんなものだったのか? どんな映像ができるのだろうか?
旅の終着地、東京で話を聞いた。

おかわりください!?
「Okawari, Please!」(おかわりください!)
これがポールさんの今回の映像撮影旅のプロジェクト名だ。まるで自転車旅の映画のタイトルとは思えないが、それもそのはず、この作品は単なる自転車旅の映像ではないのだという。日本を自転車で旅して出会った「食」と文化に焦点を当てている。
「10年来の友人ジョッシュとこの旅を企画したんだ。彼とはアパラチアン・トレイルをスルーハイクしていたときに知り合って、いまは僕達が住んでいるヘルシンキでレストランを経営している。ジョッシュは日本の食文化にすごく興味を持っていて、焼き鳥屋や居酒屋のような日本風のお店を開きたいと考えている。そんな彼の思いもあって、日本の中央部を横断する旅のなかで、私たちが経験した食の交流を記録することにした。──これが映画のアイデアなんだ」

ポールさんの代表作「The Range of Light」は難トレイルに挑む3名のハイカーのドキュメンタリーである。この作品からポールさんもジョッシュさんも、筋金入りのスルーハイカーということがわかる。世界各地のトレイルを歩くことを無上の喜びとしている。そんな彼らがなぜハイキングではなく、サイクリングで旅することになったのか。
「ハイカーとしてはジョシュの方が経験豊かで、この旅でもハイキングをするか話し合ったんだ。でも日本はイギリスと似ていて、ひとつひとつのトレイルが短く、外国のようなスケールの大きさがあまりない。だったら、自転車でいろんな街を巡る方が旅として面白いんじゃないかと思ったんだ」


豊富なハイキング経験こそあれど、自転車は普段の生活で街乗りする程度だったという2人。いざ自転車で旅を始めてみると、歩きでは得られない移動距離とそれに伴う文化の変化に魅了されたという。
「僕らは努めて速く走ろうとはしなかったんだ。日本の文化を肌で感じたかったからね。それでも一日のライドを終えてみると、60マイルも走っていた。本当に驚いた、歩きでは到底無理な距離だよ。」


酷寒の九州、辛く長い登りと凍えた下り坂
60マイルはおよそ100km。それだけの距離を走るとなると、それなりの困難もありそうだが……。
「九州は本当に大変だった。どこまで行っても山道で、20マイルも登りっぱなしの日があった。2月の終わりで雨も降り、とても寒かった。登り坂が終わったら汗だくだったけど、下りになると一気に冷え切ってしまった。持っているジャケットを全部着込んで、グローブも2枚重ねにしたけど、それでも寒くて。旅の最序盤だったので、『これは大変なことになった……』と覚悟を決めたね」


鹿児島をスタートして、東京に至る2カ月間の旅の中ではいくつもの困難があったが、同時にいくつもの喜びもあった。
「あれは岡山だったと思うけど、その日も天気が悪くて、宿に着いた時には僕らは疲れ切っていた。シャワーを浴びて、何でもいいからさっと食べてすぐ寝よう。そう思って近くのお好み焼き屋に入ったんだ。そこは明らかに外国人や観光客の来るような店ではなくて、しかも僕らは日本語が喋れない。でもお店にいた人たちはすごく親切で、歓迎してくれた。そして僕らの自転車やカメラを見て質問攻めにするんだ。ジョッシュはというと、出てくる地元の料理に興味津々で、シェフに熱心に質問していたよ。彼が日本の料理に興奮しているのを見たお店の人たちも盛り上がり、結局閉店しても日本酒が出てきたかと思えば、シェフが釣ったという魚のお刺身まで出てきてずっと語り合っていたんだ。疲れていて、早く帰るつもりだったのに、そのお店にいるあいだは楽しすぎてすっかり元気が湧いてきた。──そんな経験が、この旅の中で何度もあったんだ」

本を読んだり動画を見ても、文化を理解したことにはならない
食は言うまでもなく文化だ。だから、日本を自転車で巡りながら「食」を主軸に旅するというのは、映像のテーマとして理にかなっている。けれども、同じように旅をしたからといって、誰もが同じような出会いに恵まれるわけではない。自転車で東京を目指す外国人2人組は確かにキャッチーだけれど、彼らの中に異文化への敬意と「理解したい」という想いがあるからこそ、道程で出会う人々の心をほぐしたのではないか、そう思える。
「僕はこれまで言葉が通じない土地を旅したことが何度もあるし、逆に言葉の通じない旅人を迎える立場になったこともある。そういうとき、その土地の文化をすべて理解していなくても、友好的に接して、尊重する姿勢が大事なんじゃないかな。本を読んだり動画を見たりするだけでは、その文化を“理解した”ことにはならないよ。実際にその文化の中に身を置いてこそ、本当の理解が得られるんじゃないかなと思う」

2カ月間に及ぶ自転車旅だから、いろいろとトラブルもあっただろうと想像するが、意外なほどに大きなトラブルは無かったのだとか。ポールさんは自転車とともに、日本の道路事情も褒め称えた。
「当初はできるだけグラベル(砂利道)でルートをつなごうと考えていたので、FOCUSのアトラスというグラベルバイクを2人とも選んだんだ。いざ走ってみると、思ったほどグラベルの道が少なく砂利道を走る機会はそう多く無かったけれど、それでも太いタイヤが履けて快適で頑丈で、それでいて軽量な信頼できるバイクに乗れたことは本当に良かったね。2度の軽度なパンクと輪行時のトラブルはあったけれどいずれも大きな問題にはならなかった。日本の道はとても整備されていると感じたよ。他国のような、捨てられたガラス瓶の破片が道に散乱しているような光景が無かったからね」

充実の旅だったことが言葉の節々に伺えるが、フィルムメーカーとしてはこれからが仕事の本番でもある。映画の編集作業は大変そうだ。いつ、映像作品としての「Okawari, Please!」は完成予定なのだろうか?
「私たちのバイクをサポートしてくれたFOCUSは本国ドイツに置く新しい自転車映画祭の主要スポンサーでもあるんだ。だからこそ、この映画祭で僕のフィルムが上映されるように完成させたいと考えている。来年の2月か3月だね。それに限らず、いろんな映画祭に出品して、上映されることを願っているよ。まずは100時間以上もあるフィルムの編集から始めないと……(笑)」

ポールさん、そして旅のパートナーのジョッシュさんの2人による自転車旅がどんな映像作品になるのだろうか。果たして、「おかわりください!」というフレーズが入っているのか、気になるけれどそれは作品を見てのお楽しみということで。
「僕たちの旅や映像にメッセージがあるとしたら、それは『楽しんで冒険しよう』ということ。みんな仕事や育児で忙しくなるけど、可能な限り日常のルーティンから抜け出すことが大切だと思う。例えば土曜日に長く自転車に乗るだけでも、家族と行ったことのない場所にいくだけでも、同じことの繰り返しじゃない人生を楽しめるはずなんだ。小さな冒険が、僕らには必要なんじゃないかな」
ますます、「Okawari,Please!」の映像を見るのが楽しみだ。
■プロフィール|ポール・イングラム
イギリス出身、フィンランド・ヘルシンキ在住の映像作家。
トレイルでのハイキングを愛するハイカーであり、数多くのハイク映像作品を発表している。
2025年の2月から2ヶ月間にわたり鹿児島から東京まで自転車で日本の食文化に触れる旅を敢行。現在はその編集作業に勤しむ。

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Text by Yufta Omata
Photograph by Taro Ikeda
Storyとは「ライフタイムスポーツを楽しむ人たちの物語」
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このコンテンツ「Story」では様々な楽しみ方で、自然とスポーツとともに日々を過ごしている人たちを取材し、ライフタイムスポーツの魅力とは何かをコンテンツを通して皆さんと一緒に感じていきたいと思っています。