Story

#025 ゴルフクラブブランド「FOURTEEN」
−創業者の想いをつなぐ。 アマチュアゴルファーに寄り添い続ける“ものづくり”

2026.01.26

ゴルフは、上手い人のためだけのスポーツではない。体力も、年齢も、環境も違う一人ひとりが、自分なりのペースで楽しめる——。
ゴルフクラブブランド「FOURTEEN(フォーティーン)」の創業者・竹林隆光(たけばやし たかみつ)氏は、そんな「アマチュアゴルファーの気持ち」に生涯向き合い続けたクラブ設計者だった。

クラブの形状設計から打感の細かなニュアンスに至るまで。ひとりひとりの「もっと上手くなりたい」という気持ちをかなえるために、試行錯誤の積み重ねによって、一本一本のクラブに落とし込んできた。

その背中を間近で見つめ、今も“創業者の想い”を次の世代へとバトンを繋ごうとしているのが、今回話を聞いた同ブランドのマーケティング部部長・池田純さんだ。

「FOURTEEN」マーケティング部部長 池田 純さん

プロを夢見た青年の前に現れた、竹林隆光という指針

「実は僕、もともとはプロゴルファーを目指していたんですよ。」

若いころ、池田さんはとあるゴルフ場で研修生として腕を磨いていた。そのゴルフ場のメンバーの一人が、のちに人生を大きく変える人物となる。FOURTEENの創業者・竹林隆光氏だ。
池田さんにとって、竹林氏は「突然現れた人物」ではなかった。ゴルフクラブが好きで、雑誌を読み漁っていた池田さんは、すでにゴルフ誌で頻繁に名前を見かける有名なクラブ設計者として以前からその存在を知っていたという。

「竹林さんはいつも物腰やわらかな雰囲気をまとっていました。会うたびにクラブの相談に乗ってもらったり、プライベートで一緒にラウンドすることもありましたね。」

ゴルフと真剣に向き合う時間を重ねるなかで、池田さんは次第に、自分の将来について考えるようになっていった。
プロを目指す道の厳しさ。それでも、ゴルフから離れるという選択肢はなかった。やがて、競技者としての道に区切りをつけたとき、頭に浮かんだのは、ゴルフクラブへの興味と、あの紳士の姿だった。

「レッスンプロになるという選択肢もありましたが、自分にはあまりしっくりこなくて。昔からクラブそのものが好きだったので、思い切って竹林さんに『会社に入れてください』とお願いしました。」

28歳での入社。当初は職人志望だった池田さんはヘッドを削る研磨の仕事を希望したが、竹林氏の答えはやわらかく、しかし明確だった。

「『そういう仕事はいずれなくなるし、君はゴルフができるから』と。たぶん、職人より営業としてクラブの良さを伝える方が向いている、そう考えてくれたんだと思います。」

こうして、プロを目指していた一人の青年は、FOURTEENの一員として、新たなゴルフ人生を歩み始めた。

答えを語らず、人を育てる

竹林氏に対する入社前の印象は、「物腰やわらかな紳士」。そのイメージは、社内で一緒に仕事をするようになっても、おおむね変わらなかったという。

「社員を叱ることは一切ないし、『これをやれ』とも言わない。それなのに、なぜかおのずと竹林さんの思い描いているイメージに導かれていく。そんな不思議な力を持った人でした。」

決して声を荒らげない。命令もしない。それなのに、池田さんは次第に独特の緊張感を覚えるようになる。

「全然関係ない話をしているときに、ふと『ダメな人はダメだからね』って言うんです。誰か別の人の例として話しているんですけど、それを聞いていると、“自分もそう思われないようにしないと”って、自然と背筋が伸びたことを今でも覚えています。」

直接は言わない。けれど、言葉の裏側には必ず意図がある。

「何を話していても『この言葉の本当の意味は何だろう』って、つい考えてしまうんです。ストレートには言わない分、試されているような感覚があって。優しさの中に、静かな厳しさが確かにありました。」

社員に対しては一定の距離感を保つ一方で、こんなエピソードも。

「百貨店でのお客様向け相談会に同行したとき、一緒に売場を回りながら、『これ、池田くんに似合うんじゃない?』と、高価な服を何着も買ってくれたんです。他にも、食事に誘ってくれたり、プライベートでゴルフに行ったり…いつの間にか距離が縮まっている。そういう“人たらし”な一面もあって、だからこそ、多少振り回されてもついていきたくなる人でした。」

静かな佇まいの奥にある、厳しさと優しさ。そのギャップこそが、多くの人を惹きつけた理由なのかもしれない。

「常識を疑え」という言葉に込められた哲学

FOURTEENの活動指針のひとつに、「常識を疑え」という言葉がある。しかしこれは、社内で大きく掲げられたスローガンではなかった。

「実は、僕たち従業員は竹林さんから『常識を疑え』と直接言われたことは一度もないんです。その言葉を意識するようになったのは、雑誌のインタビューなどを目にしてからでした。」

それでも池田さんは、「ああ、確かにそうだ」と腑に落ちたという。なぜなら、竹林さんの日々の判断や行動こそが、その言葉を体現していたからだ。

たとえば、FOURTEENを代表するウエッジ「MT-28」。それは、ただ単に“スピンがかかるクラブ”ではなかった。当時の製造常識では、スピン性能はプロの技術があってこそ引き出せるもの。アマチュアが使えば、扱いづらくなるのが当たり前とされていた。

しかし竹林氏は、「誰が打っても、自然とボールが止まる」ことを目指した。フェースの形状や溝の設計、素材の選び方に至るまで、従来の製造工程とは異なる加工を重ね、結果として打点が多少ブレても、ボールがしっかりスピンするウエッジを完成させた。
「MT-28」は「上手い人のためのクラブ」という常識を、根底から問い直した一本だったのだ。

さらに、この製品のプロモーション戦略についても、当時としては極めて先進的な発想だったと池田さんは振り返る。

「あるイベントの参加賞として、『ウエッジを参加者全員に2本プレゼントしよう』と言い出したときは本当に驚きました。普通なら採算が合わないと思いますよね?でも、竹林さんはこう言ったんです。『雑誌やテレビなどのマスメディアに大金をかけるより、実際のユーザーに手に取って使ってもらうことに投資しよう。そうすれば、きっとFOURTEENのファンになってくれるはずだから』と。」

池田さんは、当時の言葉をこう受け止めている。

「『常識を疑え』というのは、決して逆張りをしろという意味じゃない。『本当に大事なものは何か、本質を見極めろ』ということ。結果が出ていないなら、そもそもの前提を疑え、という教えだったのだろうなと思います。」

アマチュアゴルファーに一番近いブランドであるために

FOURTEENの歴史を語るうえで欠かせないクラブが、もう一本ある。経営の転換点となった中空構造アイアン「HI-858」だ。

「FOURTEENはもともと、『メーカーのクラブを設計する請負会社』として創業した職人集団でした。しかし、各社が自社設計へ舵を切り、設計の依頼がだんだんなくなってきて、もう自分たちのブランドで勝負するしかない、という時期があったんです。そのタイミングで生まれたのが、アマチュアでもロングアイアンを打ちこなせる『HI-858』でした。実は竹林さんは、この中空構造を世界で初めてアイアンに取り入れた設計者なんですよ。」

このクラブをどうやって世に広めるか。竹林氏は、ここでも既成概念にとらわれない方法を選ぶ。

「竹林さんは当時若手プロゴルファーの中で勢いのあったアーニー・エルス選手に会いに行き、練習場で何度も彼に頼み込んだんです。その熱意が通じたのか『3球だけ打ってあげるよ』と、依頼を引き受けてくれました。」

ところが、打ち始めたエルス選手は、3球では終わらなかった。打ち続けるうちに「HI-858」を気に入り、数週間後に開催された2002年の全英オープンで実戦投入。そこでなんと、彼は優勝を果たす。

「その一本がきっかけで、世界中のツアープロが使うようになった。『MT-28』と並んで、会社の苦しい時期を支えてくれたモデルです。」

皮肉なことに、アマチュアのためにつくったクラブがプロの世界で評価され、「上級者向けブランド」というイメージが定着していった。
それでも、竹林氏の本心は変わらない。いつも頭にあったのは、「技術や体力のないゴルファーの『打てるようになる』を追求する」という想いだった。

「当時のFOURTEENには『プロに使ってもらうしかない』という現実もあった。けれども、竹林さんの本音は、ずっと“アマチュアの味方でいたい”だったんです。」

2010年代に入り、溝規制や各社の技術向上によって、スピン性能における差別化は難しくなっていく。単品ウエッジの市場には大手メーカーも本格参入し、FOURTEENは厳しい局面を迎えた。
そこで、2019年にFOURTEENはブランドの方向性を、改めて“原点”へと戻す。

「溝のルールが変わって、性能差だけでは勝負できなくなった時期でした。しかし同時に、YouTubeやオウンドメディアなど、自分たちの言葉で発信できる場所も増えていたんです。だったら、改めて創業の理念に立ち返ろう、と。アマチュアに寄り添うブランドとして、自分たちの想いは自分たちで伝えようと決めました。」

上手い人だけのためのクラブではなく、スコア100切りを目指す人も、初めてラウンドに出る人も、「もっと上手くなりたい」と願うすべての人に応えるクラブを。
創業者の哲学は、やり方を変えながら、今のFOURTEENの活動の中心に、確かに息づいている。

創業の原点は、これからもFOURTEENの“軸”であり続ける

池田さんのゴルフ人生は、プレーヤーとして、そしてブランドの担い手として、長く、深く続いてきた。そのなかで、今いちばん心に響いているのは、「三世代で同じフェアウェイを歩けるスポーツ」だということだ。

「父がずっとゴルフをやっていて、それを見て育った自分がいて。今は中学生の息子がゴルフを始めてくれて、三人で一緒に回ることがあるんです。そんなスポーツ、なかなかないですよね。」

サッカーや野球であれば、年齢を重ねた親世代が、子どもに勝つのは難しい。一方、ゴルフでは、経験やコースマネジメントがものを言う場面も多い。

「体力は息子の方があるし、ボールも飛ぶ。でも、ゴルフをやると、まだまだ父には敵わない。父も、『まだ孫には負けないぞ』という誇りを保てるんです。そういう関係性をつくれるのも、ゴルフの面白さだと思います。」

ゴルフというスポーツの楽しみ方は、人の数だけある。スコアを追いかける人もいれば、仲間や家族と過ごす時間や自然の中で体を動かす時間そのものを味わう人もいる。どの楽しみ方も正しくて、どの楽しみ方も受け止められるブランドでありたい——。それが、創業時から脈々と受け継がれたFOURTEENの想いなのだろう。

「創業当時からの“アマチュアゴルファーに寄り添う”という考えは、これからも変わらないと思います。ゴルフを一生の楽しみとして続けたい人たちに、少しでも自信を持ってもらえるクラブを届けたいですね。」

練習場で、ゴルフ場で、今日もクラブフェースがボールを捉え、乾いた音が響く。その一打の向こう側に、誰かの「これからのゴルフ人生」が続いていく。
FOURTEENのクラブはそんな時間にそっと寄り添いながら、これからも、創業者の想いを次の世代へとつないでいく。


■プロフィール|池田純(いけだ じゅん)
プロゴルファーを目指してゴルフ場で研鑽を積むなか、メンバーとして来場していたFOURTEEN創業者・竹林隆光氏と出会う。クラブへの興味と尊敬の念から、28歳で株式会社フォーティーンへの入社を志願。
入社後は営業職として全国のゴルファーと向き合いながら、竹林氏のもとで広告・企画・マーケティングにも携わる。現在はブランドのマーケティングを担い、アマチュアゴルファーに寄り添うであり続けるゴルフクラブブランド「FOURTEEN」の発信をリードしている。


■「FOURTEEN」創業者プロフィール|竹林隆光(たけばやし たかみつ)
1949年東京都生まれ(2013年没)。大学からゴルフを始め、卒業後ゴルフメーカーに就職する一方で競技ゴルフを続ける。77年日本オープンではローアマを獲得。81年に独立し、株式会社フォーティーンを創立。内外メーカーのヒットモデルを設計・開発。2002年を迎えるころには自社モデルを幅広く展開。中空アイアン『HI-858』、強烈スピン『MT-28』ウエッジなど大ヒットモデルを世に送り出す。


Text by akiko yamada
Photograph by Nobuhiko Tanabe

Storyとは「ライフタイムスポーツを楽しむ人たちの物語」

私には私の、あなたにはあなたの。スポーツの楽しみ方は人それぞれ。
⾃然の中で⾝体を動かすライフタイムスポーツを楽しみながら、人生を彩り豊かに過ごしている方は活力があり、魅力にあふれています。 その方たちは決してプロばかりではありません。
このコンテンツ「Story」では様々な楽しみ方で、自然とスポーツとともに日々を過ごしている人たちを取材し、ライフタイムスポーツの魅力とは何かをコンテンツを通して皆さんと一緒に感じていきたいと思っています。