Story

#035 井上想良さん(前編)
—テニスとともに育ち、自分で選んだ俳優の道。

2026.06.26

夏の暑さを思わせる5月の神奈川県・戸塚。
街中から少し離れたテニスコートに姿を現したのは、俳優として活躍している井上想良さんだ。
幼少期からテニスとともに育ってきた彼に、人生とテニスについて話を聞いた。

父親がテニススクールを経営していたため、物心ついたときにはテニスをやっていたと話す井上さん。いろいろなインタビューで「3歳からテニスを始めた」と話しているが、実際のところ正確に何歳から始めたのかは本人もよく覚えていないという。

「だいたい3歳くらいかなと思って、いつもそう言ってるんですけど、何歳から始めたのかわからなくて。はっきりと記憶が残り始めたころには、すでにラケットやボールが身近にあったんですよね。だから、テニスを始めたきっかけみたいなものも特になくて。気づいたらやっていた、という感覚なんです。」

とはいえ、芸能の道へ進むまで人生をかけてきたテニス。さぞかし夢中になっていたのだろうと思ったが、その日々は決して楽なものではなかった。

「正直、現役でやっていたときは、テニスを純粋に楽しむという感覚はあまりなかったですね。楽しいと思ったことも、ほとんどありませんでした。小さいときから、父親のレッスンもわりと厳しかったですし。
今だから言えることですけど、僕にとってテニスは進学のための手段だったんです。勉強をがんばる代わりにテニスをして、スポーツ推薦をもらって、進学や就職につなげようと思っていました。全国大会レベルの大学って、勉強で言えば東大や京大みたいな世界じゃないですか。さすがに勉強でそこを目指すのは無理だけど、テニスをこのまま頑張ればいい私立大学に行けるんじゃないかなって思っていたんです。」

最初こそプロを目指していたが、中学生のときに出場したアメリカの大会で海外選手との体格差を痛感。「これは厳しいな」と感じ、そこから少しずつ、競技一本ではなく、「ちゃんと就職できる道も考えよう」と思うようになった。

マインドが変わっても、テニスに打ち込む日々は変わらない。中学生のころは、クラブチームで、ひたすらトレーニングに励んだ。技術的なテクニックや戦術を学ぶ大変さと対峙しながら、フィジカルにも磨きをかけていった。

高校生に入ると、テニスの舞台は部活動へ。さらに過酷さを増した練習の日々に、井上さんは「高校時代が一番ハードでしたね」と振り返る。

「土日も練習試合が入っていたので、1ヶ月の休みは2日くらい。しかも、先輩や先生への敬語や連帯責任でのペナルティなど、体育会系の部活ならではの厳しさもしんどかったですね。

それに、進学校だったのもあり、課題の量も多かったんです。監督も学校の先生だから、勉強もちゃんとやらないとめちゃくちゃ怒られる。高校時代は、本当に寝る時間がほとんどありませんでした。」

多くの人は逃げ出したくなるだろう過酷な状況。そんななかで、井上さんを支えていたのは、“テニススクールの息子”としての意地だった。

「だって、意味が分からないじゃないですか。家がテニススクールをやっていて、海外まで行かせてもらっているのに、県大会の2回戦とかで負けてたら。なんだか、いろんなものを無駄にしてしまった感じがしてしまうというか。そういうふうに思われるのが恥ずかしかったし、『絶対に負けたくない』という一心でやっていました。」

“よりよい進路のため”と現実的な目標を抱えながらも、テニススクールの息子としての誇りを持ち、ながく競技と向き合ってきた井上さん。そんなテニス人生のなかで、もっとも印象に残っているのは、高校3年生のとき、インターハイ出場をかけて2歳下の弟と組んだダブルスの試合だという。

「あのときの僕はメンタル的にもかなり参っていて、1、2年生のころと比べても全然ダメだったんです。それでも試合が終わったあとには、監督に結果を伝えに行かないといけない。

『〇対〇で〇〇さんに負けました。こういう内容でした』って報告しているときの弟の顔は、今でも忘れられないですね。言葉にするなら、無力感。どうしたらいいかわからなかったし、自分のことで精いっぱいだった。

全然いい思い出だけじゃないです。テニスって、僕の中ではずっと“競技”だったので。楽しかった記憶って、実はあまりないんですよね。」
それでも、井上さんはテニスを続けた。小さいころから思い描いていた通り、スポーツ推薦で大学へ進学。テニス部に所属し、怒られては準備して、また怒られて——そんな日々を送るなかで、転機が訪れる。部が契約しているスポーツメーカーから、カタログ撮影のオファーがあったのだ。

「本当はカタログモデルにも興味がなかったんです。でも、先輩も撮るし、後輩である僕に断る権利はなくて(笑)撮影についても、正直あまり覚えてないですね。テニスをしているところを撮ってもらった、くらいの感覚でした。」

しかしながら、チャンスは予期せぬところから、転がって来るもの。出来上がったカタログを見た芸能事務所の関係者から「モデルのオーディションを受けてみないか」と声がかかったのだ。なんとなく受けてみたところ、レッスン費全額免除の条件で養成所に合格。同期の中でも好待遇に、「これは期待していいのかな?」と少しだけ気持ちが傾いた。

もともと大学について「やりたいことを見つけるところ」という感覚があったという井上さん。大学2年生のころから始めていた就職活動も、結果的に後押しとなったのだろう。抜群のタイミングで開けた新たな世界を前に、腹をくくることにした。

「養成所に入るときから、芸能で食べていくと決めていました。だって、20年間続けていたものを捨てるわけですから。最初から覚悟は決まっていましたね。」

こうして飛び込んだ芸能の世界。養成所でいろいろなレッスンを受けるなかで、井上さんを魅了したものこそ、今にも通じる芝居だった。

「僕、わりと器用貧乏なタイプで、何をやってもわりと人並みにできるタイプなんですけど、でもお芝居だけは本当に『なんだこれ』ってなったんですよね。わけがわからなかった。

スポーツみたいに、“ボールを蹴ればいい”とか“ゴールに運べばいい”みたいな明確な正解がないじゃないですか。どうすれば目的地にたどり着けるのか知りたいのに、急に本の話をされたりする。突破口がまったく見えないことが初めてだったので、逆にすごく夢中になりました。」

母親と一緒にドラマを見ていた、幼いころの体験も追い風になったのかもしれない。気づけば身近にあった世界が、今は自分の目の前に広がっている。しかもそれは、今までの人生で一番の“わからなさ”ときた。

これ、やりたいかも――。

未知なる世界への興味は、気づいたら「好き」という気持ちに変わっていた。22歳にして初めて、井上さんは自分の意志で人生の進む道を定めたのである。
そしてそれは「得意」ではなく「好き」を選んだ瞬間でもあった。

後編に続く→


■プロフィール|井上想良

大分県出身、1998年8月12日生まれ。
映画、ドラマ、舞台と活躍の場を広げる一方、21年間続けたテニスでは全国3位の実績を持つ。競技で培った集中力と芯の強さを武器に、注目作への出演が続く俳優の一人。

Text :ayaka sakai
Photograph:ren fujishige

Storyとは「ライフタイムスポーツを楽しむ人たちの物語」

私には私の、あなたにはあなたの。スポーツの楽しみ方は人それぞれ。
⾃然の中で⾝体を動かすライフタイムスポーツを楽しみながら、人生を彩り豊かに過ごしている方は活力があり、魅力にあふれています。 その方たちは決してプロばかりではありません。
このコンテンツ「Story」では様々な楽しみ方で、自然とスポーツとともに日々を過ごしている人たちを取材し、ライフタイムスポーツの魅力とは何かをコンテンツを通して皆さんと一緒に感じていきたいと思っています。