Story

#036 船水雄太さん「挑戦が、新しいスポーツの未来を切り開く」

2026.07.17

ソフトテニス界のトップ選手として数々の実績を残しながら、新たな舞台としてピックルボールの世界へ飛び込んだ船水雄太選手。
当時まだ日本ではほとんど知られていなかったこのスポーツに、なぜ可能性を感じたのか。アメリカを拠点に世界へ挑む今、競技の魅力や人とのつながり、そしてスポーツが持つ可能性について話を伺った。

「誰もが楽しめるスポーツ」に可能性を感じた

――まず、ピックルボールに出会ったきっかけを教えてください。


きっかけは、コロナ禍でした。2020年から2022年にかけて、ソフトテニスの大会がほとんど開催されなくなり、自分の中で競技人生が止まったような感覚がありました。そんな時に、アメリカでピックルボールが急速に広がっていることを知ったんです。
ソフトテニスでは世界タイトルを含めてさまざまな経験をしてきましたが、「その先に新しい景色があるかもしれない」と思いました。実際に体験してみると、本当に面白かった。
そして何より、誰でも楽しめるスポーツだと感じたんです。
ソフトテニスは魅力的な競技ですが、初心者が楽しさを実感するまでには少し時間がかかることもあります。一方でピックルボールは、初めてでも自然とラリーが続き、すぐにゲームを楽しめる。このスポーツなら、もっと多くの人にスポーツの楽しさを届けられるかもしれない。そう感じたことが挑戦の始まりでした。

人と人をつなぐスポーツ

――初めてプレーしたときの印象はいかがでしたか。


驚くほど自然にプレーできました。
もちろんラケットスポーツの経験があったことも大きいですが、それ以上に、「入りやすさ」に驚きましたね。
ピックルボールは、一発で勝負が決まるというよりラリーが続きやすいスポーツです。自然と会話が生まれますし、ダブルスが中心なので人との距離も近い。スポーツを楽しみながら、新しい仲間やコミュニティができていく。そこが大きな魅力だと思います。
アメリカでは家族や友人同士で楽しむ人も多く、お酒を飲みながらプレーしている人もいます。競技としてだけでなく、生活の中に自然に溶け込んでいるんです。
年齢や経験を問わず、一緒に楽しめる。まさにライフスタイルの一部になれるスポーツだと思います。

「何もない場所」だからこそ挑戦したかった

――ソフトテニス界とピックルボール界の違いは、どんなところに感じましたか。

いちばん大きかったのは、まだ日本でほとんど知られていなかったことですね。
当時はコートも少なく、道具を買える場所も限られていました。記者会見で挑戦を発表した時も、「それは何のスポーツですか?」という反応が多かったです。
でも、その“何もない状態”にこそ、挑戦する意味があるとも思いました。
実際、この数年で日本の環境は大きく変わりました。
大会に出ても毎回同じ人と当たっていた頃とは違って、今はプレーする人も増え、着実に競技としての広がりを実感しています。

アメリカで味わった挫折と成長

――アメリカでの挑戦を決意したきっかけについて教えてください。


2023年にロサンゼルスへ行って、本場の盛り上がりを実際に見たことが大きかったです。平日でもコートが取れないほど人気で、テニスコートがピックルボールコートに変わっていたり、地域で普及のための取り組みが進んでいたりして、「これは本当に広がっているんだ」と実感しました。
そのときに「元全米チャンピンのダニエル・ムーアに教わるといい」と勧めてもらったんです。そこからダニエルに出会って、ソフトテニスで培った技術をどうピックルボールに落とし込むかをたくさん教えてもらいました。
日本にそんな存在がいたことは、すごく大きかったですね。
また、その挑戦を後押ししてくださった方もいました。いろいろな方に支えられて、今の挑戦があると感じています。

――アメリカでの挑戦の中で、苦労したことは何でしたか。

正直、すべてが大変でした(笑)。
英語も話せませんでしたし、プレー面でも本当に苦労しました。日本で積み上げてきた経験も最初は通用しませんでした。渡米してから2か月半ほどは、アマチュア選手にも勝てなかったんです。しかも、ソフトテニス流のスタイルで変な奴だと思われて、練習中もボールを回してもらえないこともありました。
練習相手が見つからず、長時間コートにいても、一人で壁打ちを続ける日もありました。
それでも、やめようとは思いませんでした。
自分自身の挑戦というだけでなく、「日本人でも世界で戦える」という道をつくりたいという気持ちがあったからです。もし自分がここで諦めてしまったら、次に続く日本人選手の可能性も狭くなってしまう。そんな思いで続けてきました。

――生活面で印象に残っていることはありますか。


年間25大会ほど出場しているので、ほとんどホテル暮らしですね。移動も多く、食事には最初かなり苦労しました。自炊をしたり、ホームステイ先でお世話になったりしながら生活していました。
納豆を食べていたら「臭いからやめてくれ」と怒られたこともありました(笑)。それでもやっぱり食べたくて、こっそり個室で食べていたこともありましたね。
競技だけでなく、言葉や文化の違いも含めて、毎日が新しい経験の連続でした。そうした日常の積み重ねも含めて、アメリカでの挑戦だったと思います。

世界で認められた瞬間

――アメリカで最も印象に残っている出来事は何ですか。


世界のトップ選手たちに勝ち、自分のプレーを認めてもらえた時ですね。
それまで「そのプレースタイルでは通用しない」と言われたり、日本人は予選すら勝てないと言われることもありました。でも結果を出したことで、多くの人が認めてくれた。
自分個人の勝利というより、日本人でも世界と戦えるんだということを示せたことがうれしかったです。
また、スポーツを通じてさまざまな出会いが生まれたことも大きな財産です。
アメリカではスポーツが文化として根付いているので、普通では考えられないような、競技の枠を超えたつながりが生まれる。その価値を実感しています。

日本にも大きな可能性がある

――日本での今後の可能性についてどう感じていますか。


日本にも大きな可能性があると思っています。
体育館が多く、学校教育や部活動との相性もいい。安全性が高く、子どもからシニアまで幅広い世代が楽しめるスポーツです。
最近は専用施設も少しずつ増えてきていますし、学校現場からの問い合わせも増えています。
競技としてだけでなく、生涯スポーツとしても広がる可能性を感じています。

同じ未来を描くパートナー

――GLOBERIDE/DIADEMと契約した決め手を教えてください。


大きかったのは、日本でピックルボールを広げていこうという姿勢に共感したことです。
自分も、ただ海外で勝つだけではなく、日本でこのスポーツを盛り上げていきたいと思っていました。
GLOBERIDE/DIADEMは、早い段階から普及活動に取り組んでいて、その想いに強く惹かれました。
もちろん、自分のプレースタイルに合ったパドルと出会えたことも大きな理由です。
シグネチャーパドルを出していただけたことも本当に光栄ですし、プレー面でも自分の武器になっています。自分らしい攻撃的なプレーを後押ししてくれるパドルだと思っています。
競技と普及、その両方に取り組める環境に感謝しています。

未来へつなげる挑戦

――最後に、今後の目標を教えてください。


競技者としては、世界ランキング1位、そして世界チャンピオンになることです。
同時に、日本人でも世界で活躍できるんだということを証明したい。この挑戦を通じて、誰かが「自分もできるかもしれない」と思えるきっかけになったら嬉しいです。
ただ、それと同じくらい大切にしていることがあります。
5年後、10年後に、子どもからシニアまで多くの人が当たり前のようにピックルボールを楽しんでいることです。
勝敗だけでなく、人とのつながりや健康づくり、それぞれの楽しみ方ができるスポーツとして根付いていてほしい。
もしその未来が実現した時、自分の挑戦にも意味があったと思えるはずです。

これからも競技者として世界を目指しながら、このスポーツの魅力を伝え続けていきたいと思います。


■プロフィール|船水雄太(ふねみず・ゆうた)

ピックルボール選手。ソフトテニス界で世界タイトルを含む数々の実績を残した後、新たな舞台としてピックルボールへ挑戦。現在はアメリカを拠点に、世界のトッププレーヤーとして活躍することを目指し転戦を続けている。日本におけるピックルボールの普及と発展にも積極的に取り組む、同競技の第一人者の一人。

Storyとは「ライフタイムスポーツを楽しむ人たちの物語」

私には私の、あなたにはあなたの。スポーツの楽しみ方は人それぞれ。
⾃然の中で⾝体を動かすライフタイムスポーツを楽しみながら、人生を彩り豊かに過ごしている方は活力があり、魅力にあふれています。 その方たちは決してプロばかりではありません。
このコンテンツ「Story」では様々な楽しみ方で、自然とスポーツとともに日々を過ごしている人たちを取材し、ライフタイムスポーツの魅力とは何かをコンテンツを通して皆さんと一緒に感じていきたいと思っています。