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#040 足立浩伸さん(「岳」オーナーシェフ)—師に導かれて出会った、体ごと自然に入る渓流の釣り

2026.09.04

日の出から2時間ほど経過したが、鬱蒼とした渓流にはまだ夜明けの雰囲気が漂っている。ここは山梨県北杜市の山の中。川の流れる音に鳥の声が響く中、忍び足で川へ降りていく男性2人組がいた。

並んで川べりに立った2人のうち、1人が川の流れを指さす。どうやら、「あそこに仕掛けを流せ」ということらしい。
少し緊張した面持ちのもう1人が竿を伸ばしながら、そろりと仕掛けを水面へ落とした。仕掛けを追う竿の穂先が流れに沿って動いていく。息をのむ瞬間だが、魚信はなかった。もう一度、落とし直しだ。

すると今度は、流れの中に入っていた目印が動いた。クッと合わせが入ると、小気味良い引きを見せて、小ぶりだがきれいなイワナが釣れた。
ほっとしたような表情で、足立浩伸さんははにかんだ。「釣れなかったらどうしようと思ってました」。

釣り好きシェフ、移住をきっかけに未知の渓流へ

料理人である足立さんが渓流でミャク釣りを始めたのは、北杜市に移住しレストラン「岳」をオープンさせてしばらく経った2年前のこと。小学生のころから釣りに熱中してきたという彼だが、渓流釣りには敷居の高さを感じて手を出せずにいたという。しかし、レストランがきっかけとなって、足立さんは渓流釣りを始めることになる。

「『師匠』と呼ぶのは勘弁してほしいのですが……、もう諦めました」と笑う須子英樹さんは、北杜市で酒屋業を営んでいる。納品先だったレストラン「岳」の主人が釣り好きと聞いて、渓流釣りに誘ったのだという。2年前のことだ。釣り方やポイントを事細かに、出し惜しみせず教えてくれる人柄に、足立さんが須子さんを師匠と呼ぶのにそう時間はかからなかった。むしろ、「師匠か酒屋さんとしか呼ばないので本名がわからない」(笑)と足立さん。

再び舞台を川に戻すと、今度は須子さんが先行して釣り上がっていく。その手さばきは慣れた人のそれで、無駄がない。ほどなくして一尾を釣り上げると、また足立さんが前に出た。そして須子さんはどこに仕掛けを流せばいいか、再びアドバイスをする。息の合った師弟コンビだ。

足立さんは師匠の釣りをよく見ている。「たぶんあそこに仕掛けを入れるんだろうな、と思いながら見ていて、その通りの時とそうでない時がある。なるほど、対流があるからそこに入れる必要があるのか! と気付かされます。これは海釣りにはない要素で、渓流の難しいところですね」と足立さん。「その分、向上の余地はまだまだあると思っています」。

釣りと無縁の人生から師匠と呼ばれるまで

長い釣り歴を誇る足立さんは、これまでの人生で住む土地土地での釣りを楽しんできたという。実家のあった横浜でのサビキ釣りに始まり、大流行していたバスフィッシングを経て、10代で住んだアメリカではキングサーモン、帰国後に板前修業をした北海道ではホッケやコマイ……様々な魚種を様々な釣り方で狙ってきた。この渓流の釣りとも、出会うべくして出会ったのだろう。

そんな足立さんが師匠と慕う須子さんだが、ずっと釣りとは無縁の人生を過ごしてきた。渓流釣りを始めたのも、北杜市に移住してきて、釣り好きの義父からの誘いを断りきれなかったという消極的なものだった。「餌のミミズを見るのも嫌」だったが、義父が鮮やかに釣っていくのを見て、なぜ自分には釣れないのかを考え始めたらハマってしまったという。繊細で理詰めな渓流釣りが、須子さんの性格に合っていたのだろう。

「立ち位置ひとつで釣果が変わる。次のポイントへ移るのに、川のどこを通るべきか。将棋やチェスのような奥の深さがあります」

2人ともが、山に囲まれたこの地に住み始めてから渓流釣りに出会っているのは興味深い。そしていま、それぞれの人生においてこの釣りが大切な時間を占めている。

親として、料理人として自然の近くへ

海釣り派の足立さんにとって、「海なし県」の山梨へ移住するのは難しい決断だった。それでも、そのタイミングで生まれたお子さんの健康や、家族で過ごす時間の豊かさを考えた時に、自然の中にいたいと考えた。渓流釣りは、この地だからこその釣りでもある。

「渓流釣りって、釣りの楽しみ自体は30%くらいだと思うんです。あとは山の中をひたすら歩いたり、絡んだ糸をほどいたり、別のことをやっている時間ばかり(笑)。でもこの釣りほど体ごと自然の中に入っていくものはないと思います」

釣り人ではなく、料理人として自然に触れていたいという思いもある。この日も、釣りの合間には川べりで山菜のチェックを欠かさなかった。食材に対する考え方も、移住をきっかけに変わったという。

「こっちに住み始めて、素材を見つめ直すようになりました。元々寿司屋をやっていたこともあり、魚料理には自信もあったんです。でも、この地の朝採れのサラダの美味しさに衝撃を受けたんです。野菜に関して、こんなにも自分は知らなかったのかと」

それ以来、週に2回は知人と共に農業にも勤しむようになった。加えて、罠による狩猟もする。ジビエもこの土地の貴重な食材だからだ。足立さんの料理は、地域の自然に根ざすことを志している。

釣りを切り上げてレストラン「岳」へやってきた。足立さんはこの日釣り上げた魚を手際よく捌いたかと思うと、オリジナルのメニューである「イワナの春巻き」があっという間に出来上がった。お皿を彩る緑は、庭に生えている山椒。店の脇には家庭菜園があり、大葉にブロッコリーに各種ハーブと、料理に使う植物が茂っていた。来歴のわかる素材を使うことは、料理人としての矜持だ。

釣れなくても楽しむ、渓流の師弟

新しい釣りに取り組んでいる最中の足立さんが楽しそうなのはもちろんだが、それを見守る須子さんもまた、楽しそうだ。自分の周りの人が渓流釣りに夢中になるのを見るのが、嬉しいらしい。

「せっかくこんないい釣り場がある土地ですから。みんなで楽しめればいいな、と思って色んな人を誘っているんですよ。それでハマりそうなら、より突き詰めていけばいい」と語る須子さんの表情は、まさしく「師匠」のそれだった。

それにしても、釣りの話をしている師弟は楽しそうだ。

「渓流釣りの朝に一番感じることですが、川の音と鳥の声を聞くだけで、絶対メンタルにいいですよね。釣りはストレスオフになります」と足立さんが言うと、「なんなら釣れなくたっていいくらいですもんね」と師匠が返す。

「そうなんです、海釣りだと船まで使って釣れないとガッカリしちゃいますが、渓流だと釣れなくてもよくて」と足立さん。

「釣れなかったら、なんで釣れなかったんだろうと考えるのがまた面白いんですよ(笑)」と師匠。

標高の高いこの地域では、渓流釣りのハイシーズンはそう長くない。そんな時を惜しんで、師弟はまた釣りに行くのだろう。この土地で暮らす2人の、夏はこれからだ。


Text :Yufta Omata
Photo: Taro Ikeda

Storyとは「ライフタイムスポーツを楽しむ人たちの物語」

私には私の、あなたにはあなたの。スポーツの楽しみ方は人それぞれ。
⾃然の中で⾝体を動かすライフタイムスポーツを楽しみながら、人生を彩り豊かに過ごしている方は活力があり、魅力にあふれています。 その方たちは決してプロばかりではありません。
このコンテンツ「Story」では様々な楽しみ方で、自然とスポーツとともに日々を過ごしている人たちを取材し、ライフタイムスポーツの魅力とは何かをコンテンツを通して皆さんと一緒に感じていきたいと思っています。