Features グローブライドの取り組み
イシダイは賢い、アジはまぁまぁ、メジナは学習嫌い⁉︎
魚類心理学で明かされる魚の個性と能力。
この魚は何を考えているのだろうか…。
ふと、そんなことを思ったことはないだろうか。
事実、魚には心理がある。魚の行動の背景には怒り、不安、安心などの感情があるのだ。日本で唯一「魚類心理学」を掲げ、ユニークな研究を続ける研究者がいる。魚の行動パターンを解析し、魚の心理に迫ることで、海が抱えるさまざまな課題を解決しようという奮闘が始まっている。
温暖化や磯焼け、さらに漁獲量の減少…。
今、海はさまざまな課題を抱えている。それらの課題を解決するために、世界中の海洋科学者が調査や実験を行なっている。そんな中、少しユニークな発想と手法で海の課題に向き合っている研究者がいる。京都大学フィールド科学教育研究センター教授・益田玲爾(ますだれいじ)さんだ。
その研究テーマは「魚類心理学」。日本で唯一の研究室として心理学の実験手法を使い、魚の行動の背景にある心理を研究している。益田さんは環境DNAによる海洋生物調査においても欠かせない研究者の一人だが、魚類心理学の研究に関しては唯一無二の存在だ。
この魚類心理学の面白さと可能性についてお話をうかがった。
「心理学に興味を持ったのは大学生の時です。でも、その時はまだ、心理学と魚の生態学を結びつけて考えることはありませんでした。卒業後、ハワイの研究所で魚の行動観察から進化を考える研究をしていたのですが、私の興味は行動そのものよりも行動のカラクリに向かって行きました。魚がなぜそのような行動をするのか、行動の背景に興味があったのです。『君の研究は行動学というよりも心理学だね』と友人に言われたのを憶えています」
その後、京都大学で研究することになった益田さんは、日本で唯一の「魚類心理学」の看板を研究室に掲げることになる。今から四半世紀ほど前のことである。当時は魚の心理を研究することに懐疑的な意見もあったそうだが、益田さんには魚にも『心理』があるといった確信があった。
この魚の『心理』とは、具体的にどのようなものだろうか。その『心理』とは、大きく2つに分けられるという。
「情動と認知です。情動とは怒り、不安、安心といった喜怒哀楽のこと。それより上位のものが認知。学習と推理のことです。学習と推理では推理の方がより高度ですね」 と説明される益田さん。
魚は怖いという感情を持つと動かなくなったり、体の模様が変わったり、ヒレを立てるなど通常とは異なる行動をすることが多い。逆に安心しているときは、落ち着いてエサを食べる。
そして、どの行動にも引き金となる心理的なきっかけがある。
例えば、海や川で獲った魚を水槽に入れた場合、すぐにエサをあげても、なかなかエサを食べてくれないという経験はないだろうか。
それは今までと異なる環境におかれて、魚が不安に感じていることが影響している。
そう、魚も人間同様にほとんどの情報を視覚から得ている。そのため水槽に布を被せるなどして周囲の環境を見えないようにすることで、魚の気持ちを落ち着かせることが必要なのだ。気持ちが落ちつけば生理的なスイッチが入り、魚も食欲も出てエサを食べるようになる。エサを食べれば、さらに気持ちが落ち着くことができるワケだ。
このように、魚の不安と安心が入れ替わる情動心理を利用した一例といえるだろう。
対して学習とは、これまで経験したことに基づいて行動を変えることを意味する。
チンパンジーやゾウなどはエサをもらえる条件や環境を学習する認知力が高い。魚もチンパンジーやゾウほどの認知力はないものの学習することは分かっており、その能力は魚種によって異なるようだ。
・イシダイやキジハタは、賢く、学習能力が高い。
・アジやアミメハギ(カワハギの仲間)の学習能力は中程度。
・メジナやハゼは学習能力が低い。
魚種によって学習能力に違いが出るのは、食べるものが関係しているようだ。
例えば、イシダイは雑食でいろいろなものを食べて成長する。自分が育つ環境にカニが多く生息していればカニの食べ方を覚え、別の生き物が豊富にいれば、その生き物の捕まえ方を学習する。
海藻を好むメジナのように食べるものが凡そ決まっている魚は、新しいエサを食べる工夫を学習する必要がない。従って、雑食の魚たちの方が学習能力が高くなると考えられている。
では、魚の体の大きさや年齢で学習能力に違いはあるのだろうか。そんな疑問に対して益田さんは、「賢いイシダイでも、幼魚の頃は学習能力はそれほど高くはない」とのことだ。では、体が大きくなればなるほど学習能力が高まるのかというと、実はそうでもない。
イシダイは7センチくらいの大きさになった頃が、最も学習能力が高まるとのことだ。
魚は発達段階によって学習能力に差が生じるそうだが、どの魚にも共通しているのは、新しい環境に適応しなくてはいけない時期に学習能力が高まるということ。イシダイならば、沖から沿岸に生息域を変える成長期に学習能力が高まることがわかっている。人間でいうと青年期に学習能力が活発になる、そんなイメージだ。
魚の学習能力、つまり認知力は体の大きさや年齢に必ずしも比例するワケではないのだ。
このような魚類心理に基づいた研究理論は、栽培事業に役立てられている。
水槽で大きく育った魚を海に放流するよりも、体は小さくとも成長期の魚を海に放流した方が、生き残る確率が高まるそうだ。成長期の魚の方が、水槽とは違う過酷な海の環境にすぐに適応できる力があるということだろう。
益田さんの研究は、魚の行動を調査するだけでなく、その行動を起こした理由となる『魚の心理』を探っていく。さらに研究を深め、今後は『魚の心理』を活用することで、日本の水産業が苦しむ磯焼けの対策に役立てていきたい、と考えている。
「目指すのはアイゴなどの草食魚の駆除ではなく『共存』です。心理作戦でアイゴが海藻を食べないようにコントロールしたいと思っています」
益田さんによると、アイゴの学習能力はあまり高くないそうだ。ほぼ海藻だけを食べる草食魚なので、学習能力が高い必要はないのだろう。しかし、アイゴの心理と、心理に沿った行動が分かれば、水産業にとって大切な沿岸域の藻場にアイゴを近寄らせない方法を提案できる、と益田さんは考えている。
「私は舞鶴湾や若狭湾、ときには太平洋側の気仙沼などにも遠征し、年間80回以上も潜って自分の目で海の生態系を調査していますが、年を追うごとに磯焼けが拡大しているのを感じています。特に九州の長崎県周辺の海や北海道西側の海では被害が大きく、藻場は消え、生態系が変わり、水産業は壊滅的な被害を受けています」
益田さんが唯一無二の存在として研究する「魚類心理学」と、日本で開発した「環境DNA」による海の生物調査を組み合わせれば、これまでの発想とは違う新たな視点の磯焼け対策が生まれるかもしれない。
「魚の駆除ではなく、魚との共存を目指す」と語る益田さんには、魚への強い愛情を感じる。魚にも心理があることを誰よりも知っている研究者だからこそできる提案に期待したい。魚の行動の背景に『情動』と『認知』がある。
益田さんが研究する「魚類心理学」は、私たちの魚への向き合い方を大きく変えそうだ。
画像提供:益田玲爾(京都大学フィールド科学教育研究センター教授、京都大学舞鶴水産実験所長)
取材編集:帆足泰子