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自分は何をしているときに『幸せ』なのか?
その答えの先に見えてくる未来がある。

2024.09.25

働き方や生き方の価値観が大きく変わり始めている。
人生の中でさまざまな活躍の場を持つ「LIFE SHIFT /ライフシフト」への憧れを持ちつつも、具体的には何から始めていいか分からず挑戦に踏み出せずにいる人は少なくないように思う。
不安と焦燥感を抱えながら新たな自分を模索している人たちに向けて、脳科学者・瀧靖之さんが応援とアドバイスをおくる。

厚生労働省の「人生100年時代構想会議」によると、2007年に日本で生まれた子どもの半数が107歳より長く生きると推計されている。人生100年時代の長寿化の中で、私たちの働き方や生き方の新しい価値観が問われている。数年前から「LIFE SHIFT /ライフシフト(※1)」という考え方が広まりつつあるが、具体的にどうすればいいものか分からず、迷い、悩み、もがいている人も多いのではないだろうか。
新たな働き方や生き方に挑戦するときは、自分にとっての『幸せ』を意識することが大切だと脳科学者の瀧靖之さんは語っている。医者として加齢医学の権威であり、脳科学者、そしてビジネスマンとしても活躍する東北大学の瀧靖之教授にお聞きした。

不安と焦燥感を抱える40〜50歳代、新たな挑戦に向けて。

あなたは何をしているときに『幸せ』を感じますか?

いきなり何を言っているのだと戸惑ったでしょうか。
少し驚かせたかもしれませんが、これは自分の将来に悩み始めた人に私がいつも問いかける言葉です。
自分が何に対して『幸せ』を感じるのかを改めて考えてみる。
これこそが、人生100年時代の「ライフシフト」に必要なステップだと考えています。私は以前からこの質問の答えを常に意識してきました。

ここ数年、「ライフシフト」という言葉を聞くことが多くなりました。
「ライフシフト」とは人生100年時代の長寿化の中で、従来の「3ステージ」の生き方から人生の節々で多様な活躍の場を選択する「マルチステージ」の生き方にシフトすることを意味していると言われています。20歳前後までの知識を深める『教育ステージ』を経て、就職し定年まで働く『仕事ステージ』を過ごし、定年を迎えて余生を過ごす『引退ステージ』へと移行する「3ステージ」の人生を誰もがこれまでは想定していました。
このような従来の生き方に固執せず、副業・兼業・起業、そしてボランティアなどさまざまなステージ(活躍の場)を並行したり移り変わったりしながら、生涯現役であり続ける「ライフシフト」が提案されたことで、働き方や生き方への世の中の意識も少しずつ変わり始めているように感じます。

ステップ1. 働き方や生き方の価値観を変える

現在の仕事から完全に離れてしまう前に自分が活躍できる他の場所(ステージ)を模索してみたい。そんな気持ちが芽生えたら、働き方や生き方について改めて考えてみることから始めるといいのかもしれません。昔は、情報もお金も人脈もすべてが中央集権型で、一つの企業に属し、その中にあるヒエラルキーに従って働いてきました。
しかし現在は、まさにweb3型(※2)。働き方も働く場所も、多様な選択肢が可能になりました。最近は、オフィス以外の場所で仕事をすることは珍しいことではなくなり、個人の働き方を尊重してくれる企業も増えてきたように思います。
その背景にはテクノロジーの進化もあるでしょう。オンラインでのコミュニケーションなどデジタル技術を活用した情報交換も一般的なことになりました。今後はAIのさらなる普及が想定されています。そんな状況に焦りや不安を感じる方は多いかもしれませんが、「自分はついていけない」とテクノロジーに背を向けるのではなく「この便利な世界とどう共存しようか」と考えてみてはいかがでしょうか。それは若い世代と同様のデジタルスキルを身につけるということではありません。働き方や生き方の価値観がすでに変わり始めている現在の社会と上手に共存することを楽しんで欲しいのです。中央集権型の価値観を持ち続ける必要はないと思います。
仕事と生活を切り離す「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は聞いたことがあるかと思いますが、最近では仕事と生活、どちらも大切な人生だと考える「ワーク・ライフ・インテグレーション」、さらには人生のなかに仕事があるとする「ワーク・イン・ライフ」という考え方にも注目が集まっているようです。個人の働き方や生き方を尊重する新しい価値観を受け入れていくことで、自分の可能性が広がっていく希望を感じられる方は多いのではないかと考えています。

ステップ2. 40〜50歳代は専門性を“深める”のではなく「広げる」

「マルチステージで活躍する」と言っても、自分が活躍できる場所をどう探せばいいものか分からない。そう悩んだときは、自分の専門性を「深めること」だけではなく「広げること」も考えてみて欲しいと思います。専門性とは、企業で働く人にとっては、営業や経理、または企画など長年担当されてきた分野と考えると分かりやすいかもしれません。いわゆるキャリアです。
その専門性を深めていくことはもちろん大切ですが、専門性を武器に戦うことにこだわり過ぎなくてもいいのではないかと私は思っています。知識をアップデートし続けることは誰にとっても大きな負担です。特に中高年になると体力の低下はもちろん、若い世代から追われ続ける焦燥感もあり、精神的に大きなストレスになる方もいると思います。
そこで専門性を「深める」のではなく「広げる」という考え方に切り替えてみてはいかがでしょう。自分の経験や知識を異なるジャンルのヒト・モノ・コトにつなげていくことで、まったく違う世界が見えてくると思うのです。
私は医者として加齢医学の研究を行っています。脳科学から加齢のメカニズムを明らかにし、認知症予防に役立てたいと考えていますが、医者として得た脳科学の知識をビジネスの世界でも役立てたいと思い、大学初スタートアップ企業を起業したり、さまざまな領域の企業と産学連携共同研究を行ったりしています。脳科学と健康だけでなく、脳科学と美容、脳科学と教育など、自分の専門性をさまざまなジャンルと組み合わせることで、医学だけを深めていたら得ることのなかった人脈やアイデアを手に入れることができました。新しい出会いは、さらに新しい出会いを連れてきます。忙しい毎日ですが、とても充実した時間を過ごしています。

私の周りでも新たな活躍の場を求め転職を繰り返したり、これまで積み上げてきたキャリアをあっさりと捨ててしまったり・・・と、大胆な選択肢を選ぶ方がいました。もちろん、それらが悪いわけではありません。悩んで決めた選択肢だと思いますから、尊重すべきものだと思っています。しかし、新たな挑戦に踏み出すときは誰もが不安で、大胆な選択肢を積極的に取れる方は少ないだろうと考えます。
だからこそ先ずは、これまで積み上げてきたものを核にして視野を広げることから考えてみて欲しいのです。自分の専門性を「深める」から「広げる」という発想です。
この方法であれば、挑戦への心理的不安も少ないのではないかと思います。視野を広げ俯瞰して物事を考えることを脳科学では「メタ認知」といいます。俯瞰することで自分を客観的に考えることができ、積み上げてきた専門性をどのようなヒト・モノ・コトとつなげれば面白いことができそうか・・・など、新たに見えてくるものも多いと思います。
専門性を「深める」から「広げる」、そして「つなげる」という発想は、「ライフシフト」に関心を持つ多くの方々に役立つと思っています。

ステップ3. 何に幸せを感じるのか、改めて自分に問い直す

ここでもう一度お聞きします。
あなたは何をしているときに『幸せ』を感じますか?

この問いへの答えを意識することが3つ目のステップです。
「何をしているときに楽しいのか、幸せを感じるのか」ということを自分に問いかけることは、「ライフシフト」を考える岐路で最も大切なことだと思っています。

私は、この問いを常に意識してきました。
そして私が考える問いへの答えは「美」です。美しさを感じられるモノやコトに向き合っているときは、とても楽しく、幸せな気持ちになれるからです。私が幸せを感じる「美」は目に見えるプロダクトのデザインだけを指しているわけではありません。音楽、文章、ファッション、メイク、芸術、自然の美しさなど感性を揺さぶるモノも入ります。さらに、友人がビジネスにおける仕組みづくりにも「美」は大切だと言っていましたが、私も本当に理解できます。
自分が美しいと感じるこれらのモノと自分の専門である脳科学を結びつけることが、とても楽しいのです。「美」は、私が新規の研究を始めたり起業したりする際に外せない要素になっていますし、モチベーションになっています。

何に対して楽しさや幸せを感じるかは、人によって違うと思います。
人とのコミュニケーションが好きな方は、その気持ちを大切にしてください。
企画やアイデアを世の中のために役立てたいと思う方もいるでしょう。
私のようにすべてに共通するキーワードを見つける方もいるかもしれません。

新たに活躍の場を模索するとき、自分が何をしているときに幸せを感じるのかという点を無視してはいけないと思っています。すでに十分頑張ってきたわけですから、義務感や焦燥感に駆られて経済的豊かさや社会的地位を追求することよりも、自分にとっての「楽しい」と「幸せ」を一番大切にして欲しいのです。主観的幸福感は脳の健康維持にも、将来の認知症リスクの低下にも効果があると言われています。
40〜50歳代で改めて『自分にとっての幸せ』を意識することは脳科学的においも、とても有用です。マルチステージを実践していく際には、仕事だけでなく趣味やボランティアなどに活躍の場を見出す方もいると思いますが、どのステージにおいても『自分が幸せであること』が何よりも大切だと考えています。

自分はどうありたいのか、日常の中で考えるクセを

働き方や生き方への価値観の変容、専門性を広げる発想の転換、自分の幸せを意識することの重要性についてお話ししてきました。ステップに沿って気持ちを整理していくことで不安や焦燥感が和らぎ、人生を柔軟に設計していく方々が増えていけば、私も本当に嬉しく思います。
最後に、日々の過ごし方についてもお話します。

ぜひ、考えるクセをつけてください。
自分が幸せだと思える事柄について、日頃から意識するクセをつけておくといいと思います。そうすればニュースや新聞、インターネットなどから発信される多くの情報の中から自分に役立つ情報を集めることができるようになると思います。問題意識がなければ、情報は右から左に流れていってしまいます。集めた情報や知識は新たな挑戦をする際の大きな力となるはずです。

脳には可塑性(かそせい)があります。
脳は学習や体験などによって神経細胞群が何度でも新たなネットワークを築きます。脳は、新しい考え方を受け入れることにとても柔軟なのです。これは年齢を重ねても変わりません。
「自分にはできない」「年齢的に難しい」と思っている方がいるとしたら、それは思い込みです。脳の可塑性を信じて、まずは一歩前に踏み出していただければ嬉しいです。人生はまだまだ続きます。可能性に溢れた幸せな未来が、みなさんの目の前に広がっていることを願っています。

※1:ライフシフトとは、人生100年時代を見据えた新たな生き方の構築を指す言葉。ロンドン・ビジネススクールの経営学教授リンダ・グラットン氏と経済学教授アンドリュー・スコット氏の著書「LIFE SHIFT」(東洋経済新報社/2016年発行)で提唱され話題となった。

※2:特定の管理者がいないブロックチェーン技術によって実現した分散型ネットワークを中核とするインターネットの概念。その特徴から、「組織ベース」ではなく「プロジェクトベース」で動く新しい働き方の概念を表す言葉としても使用される。

瀧 靖之(たき・やすゆき)
医師、医学博士。 脳科学者。東北大学スマート・エイジング学際重点研究センター センター長。東北大学加齢医学研究所教授。これまで脳のMRI画像を用いたデータベースを作成し、脳の発達、加齢のメカニズムを明らかにする研究者として活躍。読影や解析をした脳MRIはこれまでに16万人にのぼる。『「賢い子」に育てる究極のコツ』(文響社)は10万部を超えるベストセラーに。ピアノ演奏やチョウの採集など多彩な趣味を持つ。一児の父。

取材編集:帆足泰子

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