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豊かな森に魚が付く。北海道で続く海を育む植樹運動

2023.08.10

北海道の漁業関係者が森に木を植えている。35年以上も続く植林運動で、森と海のつながりを大切に考えた活動だ。森が豊かになれば栄養分が川に流れ込み、海へと注がれる。魚や貝などの海の生き物を豊かに育むためには、まず森を守ることが必要なのだ。水産王国・北海道で行われている「お魚殖やす植林運動」への想いを取材した。

森が育んだ栄養は川を伝って海に注ぎ、海で暮らす魚などの生態系を豊かにする。漁業関係者の間では古くから経験的に知られている考え方だ。豊かな森林がある水辺には魚が寄り付くことから、このような森林を「魚付き林」という。江戸時代には、海を育み漁獲量を増加させるため各藩が沿岸部の森や山を禁伐などで厳しく保全管理することもあったそうだ。森を守ることが海を守るという考え方は、海に囲まれた国で魚介の恵みを得てきた日本人にとって、経験から得た大切な知識なのかもしれない。近代化とともに「魚付き林」の考え方は希薄になっていたが、環境への意識が高まっている現在、この考え方に再び注目が集まり、各地で植樹運動も始まっている。1987年から35年以上も続いている取り組みとして注目すべきは、北海道漁協女性部連絡協議会による「お魚殖やす植樹運動」だ。植樹本数は累計120万本。北海道内の70を超える各漁協が、海を守り、魚を殖やすために、毎年根気よく植樹を続けてきたという。北海道各地で行われる植樹活動を陰ながら支える北海道漁業協同組合連合会・環境部次長の中村信哉さんにお話をお聞きした。

「植樹はもともと、漁協の婦人部連絡協議会(現在は北海道漁協女性部連絡協議会)の30周年記念事業として行われたものでした。80年代当時の漁獲は好調でしたが、河川改修や農地の拡大、土地利用の変化など開発行為も盛んだった時期で、漁協としては魚を殖やすために始めた取り組みだったのです。当時、漁業における環境問題などを担当していた北海道指導漁業協同組合連合会(2004年に北海道漁業協同組合連合会と合併)参事の柳沼武彦さんが中心となり、婦人部とともに魚を殖やすためには森への植樹が必要だという考え方を北海道各地に広めていきました。柳沼さんは森と海の関係に着目し、植樹によって森を豊かにすることで漁獲量の改善につなげていきたいと考えていたようです。その想いに応え35年以上に渡って続けてきた植樹運動は農林水産大臣賞を受賞するなど、これまでたくさんの評価をいただきました。2016年には環境に関する国際会議であるCOP13(気候変動枠組条約第13回締結国会議)のパンフレットにも採用されました。活動が評価されることは大変嬉しいことですが、植樹によって漁獲量が増加したという具体的な成果を数字で表すことはなかなか難しいものです。海が豊かになり漁獲量が増加する要因は、植樹以外にもさまざまにあるからです。しかし、70年間継続してきた『えりも岬』の緑化活動では大きな成果が出ており、植樹の意義として私たちも参考にしています」

1988年の植樹の様子。「浜のかあさん」と呼ばれている漁協の婦人部連絡協議会が中心となって植樹をおこなった。
現在の植樹の様子。当初から中心となって活動している漁協の女性部連絡協議会はもちろん、現在は北海道の漁協全体で植樹に取り組んでいる。

えりも岬の緑化活動とは1958年に始まった地域独自の取り組みで、当時、伐採によって砂漠化したえりも岬周辺の浜を再生しようと町民と営林署が中心となって活動を始めた。地域特有の強風に悩まされながら雑海藻(ゴダ)を敷き詰める「えりも緑化方式」を確立し、イネ科の種を蒔く「草本緑化」を行い、後に樹木を育てる「木本緑化」を行うようになる。研究者による調査からは、「草本緑化」よりも「木本緑化」の方が漁獲量の増加がみられたと報告されているようだ。この緑化活動はえりも岬の厳しい自然環境の中で町民が試行錯誤を繰り返し現在まで70年間継続している活動であり、北海道漁業協同組合連合会としても注目している。
「えりも岬では、緑化に伴い風で飛ばされる赤土が減り、海の濁りが改善して漁獲が戻った事例として有名です。また、北海道立総合研究機構林業試験場の長坂晶子先生の研究では、樹木から落ちた葉が川を伝って河口付近まで流れ、落ち葉だまりとなることで、そこにエビや水生昆虫が集まり、さらにそれらを捕食するカレイなどの魚が集まってくることが報告されています。森と海はつながっていますので、植樹と漁獲量は決して無関係ではないと思っています。大切なことは活動を継続することです。成果だけをすぐに求めるのではなく、私たち漁業関係者が経験から知っている森と海の関係を信じ、森を守る活動を続けていくことが大切だと思うのです。1年間の植樹本数は3~4万本程度ですが、気がつけば植樹総数は累計120万本になりました。規模は小さくても長く続けていれば大きな成果となります。『お魚殖やす植樹運動』のキャッチフレーズは“100年かけて100年前の自然の浜を”です。私たちの植樹運動はまだまだこれからだと思っています」と、中村さんは植樹への取り組みは継続していくことが大切だと語る。

1987年(昭和62年)から2022年(令和4年)までの植樹累計本数は1,218,514本。続けていくことが大きな成果となっていくのだ。

漁獲量を増加させるだけでなく、自然災害やサステナブルの観点からも植樹の効果はあるはずだ。「浜のかあさん」たちが継続して植樹をおこなっていくことで得られる効果は、今後ますます大きなものになるだろう。
しかし懸念点もあるという。気候変動だ。
「気候変動がもたらす海水温の上昇からは、さまざまな影響が出始めています。北海道東部の太平洋側ではこれまで国内で報告のないプランクトンが大量増殖して「赤潮」を引き起こし、ウニが死滅するなど生態系に大きな影響が出ました。この地域の海が元に戻るまではおおよそ4年はかかるといわれています。また北海道といえばサケが有名ですが、サケの回帰率も低下が叫ばれてから久しいです。これらはおそらく気候変動による海水温の上昇が影響を及ぼしていると考えられています。海水の酸性化も心配です。水の性質を示す指数であるPHが少しずつ酸性に傾いてきているのです。海が酸性に傾くと、北海道の名産品である帆立貝などの貝が殻を作りにくくなると予測されています。魚種の変化も気になります。サンマの漁場が遠くなり、イワシが豊漁となっています。函館では名物のイカの漁獲量が減り、各地でブリの漁獲量が増えています。これらの変化を地球環境の中の単なるレジームシフトだという人もいるでしょう。しかし魚の種類や量の不安定さは漁業の混乱につながりますから、気候変動の問題は今後とても心配です。植樹運動はもちろん続けていきますが、森に木を植えるだけでは海の生態系を守ることができない自然環境の変化が起こり始めていることに強い懸念を感じています」と、中村さんは北海道での漁業における近年の変化を懸念されている。
やはり気候変動は、北海道の漁業にも大きな影響を及ぼしている。植樹だけは解決しないこともあるとは思うが、それでも「お魚殖やす植樹運動」がこれからも継続して行われ、北海道の海の豊かさを育む要因の一つとなることを期待したい。そしてこの植樹運動は、北海道の70を超える各漁協が地域特性を踏まえ、植樹の場所や本数、樹種を毎年自分たちで主体的に決めていることも注目に値する。「北海道の漁業関係者にとって植樹は当たり前のことです。豊かな森に魚が付くという魚付き林の考え方は、私たちは経験から肌で感じています」と語る中村さんの言葉が印象的だった。

植樹した木には下草刈りの際に誤って切ってしまわないようピンクのリボンが結ばれる。主に広葉樹を植樹することになっているが、樹種は地域の特性に合わせ各漁協が主体的に決めるそうだ。

森は海の恋人といわれる。植樹を通して森を育むことで豊かな土壌となり、微生物により分解された森の栄養分が河川を通して海に運ばれる。その中には「フルボ酸」という物質もあり、フルボ酸は鉄と強く結びつき、鉄を水に溶けたままの状態にして海に運ぶことができる。鉄は食物連鎖の最初に位置する植物プランクトンや海藻の生育に必要な物質であり、まさに森からの恵みが海の生態系を豊かにしているのだ。日本人は経験的に「魚付き林」の存在を大切にしてきた。もともとは沿岸部の森林のことを意味していたそうだが、森と海が川を通してつながっていることをふまえ、現在は内陸部の森も「魚付き林」同様に大切であると考えるようになってきた。先人の経験から生まれた考え方は、現代に暮らす私たちにも大きな学びをもたらす。豊かな森は豊かな海をつくる。この意味を改めて広く伝えていきたい。

画像提供:北海道漁業協同組合連合会
取材原稿:帆足泰子

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