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海洋の温暖化、酸性化、貧酸素化。
「Deadly Trio /死のトリオ」が警鐘を鳴らす

2024.03.25

地球の温暖化とともに海水温が上昇している。その影響で海洋酸性化、貧酸素化も進んでいる。このような状態が続けば地球表面積の7割を占める海は、一体どうなってしまうのだろうか。私たちに多くの恵みをもたらしてきた海は、「死のトリオ」によって静かに悲鳴を上げている。

二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスが地球の気温を上昇させている。世界気象機関(WMO)によれば2023年の世界平均気温は観測史上もっとも高かったようだ。国連のグテーレス事務総長が「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代が訪れた」と強い危機感を示したことも記憶に新しい。気候変動に伴い海水温も上昇し、2023年の日本近海の平均海面水温も統計開始以来、もっとも高い値になったと気象庁が発表している。

海洋は人間社会が大気中に放出する二酸化炭素の20~30%を吸収している。しかし温暖化による海水温の上昇や酸性化などによって海洋の二酸化炭素の吸収力が低下していくかもしれない。
そこで今回は、海洋の炭素循環を解析し温暖化などの環境変化と海洋生物との相互作用を研究する筑波大学下田臨海実験センター生物海洋学研究室・和田茂樹助教に海洋環境研究の最前線をお聞きした。

「まず私が研究する海洋の炭素循環とそれによってもたらされる炭素隔離機能についてご説明しましょう。海洋生物が介在する炭素の隔離過程として代表的なものに、生物ポンプとブルーカーボンがあります。生物ポンプとはプランクトン群集が関わる炭素隔離メカニズムのことで、光合成によって大気中の二酸化炭素を取り込んだ海洋の植物プランクトンを由来とする有機物が海洋表層から中深層に運ばれて、炭素を深海に隔離します。一方、水深の浅い沿岸域では砂地や泥地に生息する海草や岩場に付着する海藻が海底に生えており、光合成が活発に行われ二酸化炭素を吸収します。海草や海藻由来の有機物が海底の泥の中に埋まったり、波の影響を受けて沖に流され深海に沈んだりすることによって二酸化炭素を隔離・固定します。このメカニズムで隔離された炭素がブルーカーボンです。つまり海洋の炭素隔離機能を考えるときは、植物プランクトンを発端とする有機物が深海に沈み二酸化炭素を隔離・固定する生物ポンプのメカニズムと沿岸の植生を経由して二酸化炭素を隔離・固定するブルーカーボンのメカニズムの2つを考える必要があるのです」

磯焼けしてしまった様子。磯焼けはさまざまな要因によって生じるが、地球温暖化による海水温の上昇の影響も指摘されている。

現在、日本の沿岸では藻場が消失する「磯焼け」が大きな問題となっている。藻場再生の取り組みが各地で行われているが、ブルーカーボンとしての効果に関して未だ分からないことも多いそうだ。
「海草などの砂や泥に生息する植物が地中に埋まっていくことによって、どの程度の二酸化炭素が隔離・固定されるかについては比較的研究が進んでいます。しかし、沖に流されていく海藻の量や動きを数値化することはとても難しいのです。磯焼けの場合、主にコンブ目の海藻を増やすことを目指しますが、ブルーカーボン的にはどの種類の海藻が最適なのか、明確なことはまだ分かっていません。また海の植物は陸の植物に比べ短命で海藻は数ヶ月で寿命を迎えます。その場で分解されると、吸収した二酸化炭素は大気に戻ってしまいます。この大気に戻った二酸化炭素をその場所の海藻が吸収するとしたら、二酸化炭素は同じ場所でぐるぐる回ることだけを繰り返し、地球の二酸化炭素が減ることはありません。ブルーカーボンの取り組みを進めていくことは大切ですが、単純に藻場を増やせばいいというわけではなく、海藻の種類や寿命の短さ、沖に流され海底に沈む量など、さまざまな要素を考慮し数値化していくことが必要なのです」

カジメ(コンブ目コンブ科の海藻)海中林での生物量調査の様子。ブルーカーボンの効果についてはさらなる解明が必要だ。

藻場を増やすことはブルーカーボンの取り組みに効果的かと理解していたが、そう単純な話でもないようだ。しかし藻場造成には温暖化対策以外にもさまざまな効果があり、「副作用が少ない点に着目してほしい」と和田助教。

「藻場の保全や造成によるブルーカーボンの効果はもっと詳しい解析が必要であり、現時点では気候変動対策の1つという位置づけでしかありません。しかし藻場が増えればアワビやエビなどが棲みつき、それを狙う魚が集まってきます。魚が増えれば漁業はもちろん、ダイビングなどの産業も活発になりますし、釣り人も楽しめるでしょう。藻場を増やすことは二酸化炭素の隔離・固定以外にたくさんの好影響をもたらすのです。二酸化炭素の隔離・固定に関しては世界中の海洋研究者がさまざまな方策を発表していますが、副作用をもつ手段も多く存在しています。海洋という大自然を相手に人間が安易に介入するとどんな問題が起こるのか、はっきり分からないことも多いのです。分からない以上は積極的に取り組むことはできません。しかし藻場を利用したブルーカーボンの取り組みは環境にも生態系にも産業にも効果があることを考えると、今すぐできる気候変動対策として取り組みを進めても良いのではないでしょうか」

海洋に起こっている問題は温暖化だけではない。酸性化もまた、世界の海洋研究者によって調査・分析が急がれている。産業革命以降、大気中の二酸化炭素が増え、海洋が吸収する二酸化炭素の量も急速に増えていった。そのため海中の水素イオン濃度が上がり、本来アルカリ性に傾いている海水が徐々に酸性度を高めつつあるのだ。酸性化が進めば貝や甲殻類など炭酸カルシウムを主成分とする生きものが殻を作れなくなり、いずれ海の生態系に大きな影響を及ぼすと懸念されている。和田助教も2014年からフランスやイタリアの研究者などと共に「CO2シープ」の調査を通して海洋酸性化による影響を研究している。

「CO2シープとは、火山の影響などで海底から二酸化炭素が噴き出している場所のことです。このまま二酸化炭素が増えていった際の未来の海の様子をCO2シープの環境から予測し、生態系にどんな影響が出るのかを研究しています。CO2シープは日本では伊豆諸島の式根島などにあり、多くの海洋研究者と一緒に調査を進めています。式根島はサンゴと海藻の混成群落が広がるきれいな海ですが、CO2シープの環境下では小型の藻類が海底を覆い尽くし、動物の生物多様性も低下します。式根島のCO2シープの環境から考えると、このまま世界の海洋が酸性化していくと海の生態系が大きく崩れる可能性が想定できます。もちろん、海の生態系は場所ごとに異なるため世界中の海がまったく同様の環境になるとは思いませんが、決して楽観できる状況ではありません」

二酸化炭素が噴出するCO2シープ。小型の藻類が周囲を覆っている。

藻類が覆い尽くす海底は二酸化炭素の影響を受けた海の未来かもしれないことを私たちは知っておく必要があるだろう。そして和田助教は海の環境変化を考える際「1つの生物の変化だけを考えるのではなく生物間の相互作用についても想像してほしい」と語っている。

「温暖化や酸性化の影響で1つの生物が減少、または絶滅したら、それに関係する生物にも大きな影響が出ます。例えば、酸性化によってある貝が絶滅したらその貝をエサとして食べていた魚はどうなるでしょうか。逆に、その貝がエサとして食べていた生物は天敵がいなくなったことで急増するかもしれません。海の多様な生態系は複雑なバランスの上に成り立っています。1つの生物への影響がやがて大きなインパクトとなって海洋全体の環境を変えてしまう可能性もあるのです」

CO2シープを調査する和田茂樹助教。二酸化炭素が海洋に与える影響の調査・分析が急がれている。

二酸化炭素の増加がもたらす海水温上昇と海洋の酸性化。海の環境は間違いなく変わり始めている。そしてもう1つ、懸念すべき要素があると和田助教が教えてくれた「海洋の貧酸素化」である。温暖化の影響を受け海水温が上昇すると、海中の溶存酸素量(※1)が減り貧酸素化する。また温まった表層部の海水は密度が小さくなる(※2)ので、中深部の冷たい海水と混ざりにくくなる。近年の温暖化で海洋表層はますます温かく、そして密度が小さくなり、中深層に酸素が運ばれにくくなったため、深海の貧酸素化がより深刻化すると想定されている。すでに世界の海では貧酸素化が原因と思われる影響も出始めているそうだ。
「海洋の温暖化、酸性化、貧酸素化の3つは『Deadly Trio /死のトリオ』と呼ばれています。これらが同時に発生している現在の状況はまさに危機的だと言わざるを得ません。都市部に暮らしていると海への関心は薄れがちですが、私たちの未来に『死のトリオ』が警鐘を鳴らしていることは知っておいてほしいと思います」

和田助教を中心メンバーとする「Tara JAMBIO(タラジャンビオ)ブルーカーボンプロジェクト」が2024年度から始動する。国内大学付属の臨海実験所と連携し、海洋生物が地球温暖化の原因となる二酸化炭素を吸収するメカニズムを全国的に調査する国内初の試みで、世界的にも珍しい調査だという。
その調査報告が海洋の未来をより良い方向に導いてくれることを期待したい。私たちが個人で海洋の大きな変化に立ち向かうことは現実的ではないが、和田助教のような研究者たちの取り組みに先ずは関心を抱き注視し応援することは可能だろう。都市部に暮らす私たちも海洋の未来に対して少しでも関心を高めることが大切ではないだろうか。温暖化、酸性化、貧酸素化の『3つ死のトリオ』が警鐘を鳴らす海の未来を変えることができるのは、一人ひとりの行動なのだ。

※1:海水中に溶け込む酸素量のこと。近年、海洋の広い範囲で溶存酸素量が減少。1960年以降の約50年間に、海洋全体で溶存酸素量の約2%が減少したと報告されている(気象庁HPより)

※2:海水温が下がると水が収縮して密度が大きくなり体積当たりの重さが増えるため、海洋表層の海水が中深層に沈み込む。近年は温暖化の影響で海水温が下がらず海洋表層の海水が中深層と混ざることが少なくなっている(海水の密度は塩分にも関係する)。

画像提供:和田茂樹(筑波大学 下田臨海実験センター)
取材編集:帆足泰子

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