Features グローブライドの取り組み
不気味に広がる白い岩、海の砂漠化。
食い止められるのは、豊かな森林土壌だ。
沿岸域に広がる白い岩場。海藻も生えず、魚の姿も見られない。「海の砂漠化」だ。
減少した藻場を復活させようという磯焼け対策が各地で行われているが、すでに砂漠化してしまった場所は、もう簡単には元には戻らないようだ。では、豊かな海を取り戻すために私たちにできることは何か。それは「森と海のつながり」に改めて着目することだった。
近年、日本の沿岸域で「磯焼け」が進んでいる。
「磯焼け」とは、岩や岩盤から海藻が減少、または消滅した現象を指す。温暖化による海水温の上昇で活性化した魚などが海藻を食べてしまうことが主な原因と言われている。藻場が減れば、そこを住処やエサ場にしていた生きものが影響を受け、さらに小魚や貝などを捕食していた中・大型魚の生息域も大きく変化してしまう。では、日本各地で問題視されているウニや草食魚を駆除すれば「磯焼け」は解消するかというと、そう簡単なことでもない。
「沿岸域の中でも河口近くは、山(森林)の腐植土から溶け出した栄養塩類の濃度が高いことがわかっています。植物プランクトンや海藻などの光合成に不可欠なフルボ酸鉄も腐植土から溶けて海に流入しています」と北海道大学名誉教授の松永勝彦さんは海の砂漠化を考える際、森とのつながりに着目してほしいと語っている。
私どもには聞き慣れない「フルボ酸」とは、土壌微生物が動植物を分解してできる腐植物質(有機物質)の一つ。土中の多くの金属元素と結合するが、中でも「鉄」と結合したものを「フルボ酸鉄」という。
「鉄」は植物プランクトンや海藻などの光合成には欠かせないもの(参考*)であり、「フルボ酸鉄」が自然豊かな森林土壌から川を経て海に流れ込める環境であることは、海の食物連鎖の原点である植物プランクトンや海藻などを育むためにはとても重要なのだ。
これが「森と海のつながりを大切にすべき」と松永先生が強調する理由でもある。
藻場は、海藻および海草の群集を意味する。海藻は海中に生える藻類で岩や岩盤に胞子を着床させて生息し、一方の海草は種子植物の仲間で砂地や泥地に種や地下茎を伸ばして生息する。
「海の砂漠化」は海藻の胞子が着床する岩や岩盤が石灰藻(参考**)に覆われ、ペンキを塗ったように一面が白くなってしまう現象を指す。ウニや草食魚などによって海藻が減少しても、岩や岩盤が石灰藻に覆われずにそのままであれば、駆除することで藻場が回復する。しかし、一度でも白く塗ったような石灰藻に覆われるとウニや草食魚を駆除しても藻場が回復することはほぼない。
駆除すれば回復する磯焼けを「単なる磯焼け」、ほぼ永久に回復しない磯焼けを「海の砂漠化」と松永先生は呼び、海藻再生にはこの区別は極めて重要である、と力説している。
北海道大学名誉教授の松永先生の研究によると、石灰藻上に海藻が生育できないのは、着床した海藻の胞子を死滅させる物質を石灰藻が分泌しているためだという。石灰藻が広がってしまった岩や岩盤にいくら藻場を再生しようとしても、海藻の胞子は生育することができないのだ。海藻だけでなくフジツボやカキの幼生なども石灰藻が分泌する物質によって生育を妨げられることがわかっている。つまり石灰藻上にはいかなる生物も生育することが難しいのだ。
そして森と海の深いつながりについて、さらに興味深いことを教えてくれた。
森林土壌から海に流れ込む腐植物質が、海を砂漠化させる石灰藻の胞子の成長を妨げていることがわかったのだ。
その実験では、石灰藻の胞子に腐植物質を添加すると胞子は死滅したが、添加しない胞子は生長を続けたという。腐植物質の何がどのように石灰藻に影響を与えているのかは、まだ明らかではないが、石灰藻の主成分である炭酸カルシウムの結晶形成を妨げていると推定されている。ただ明確となったことは、海の砂漠化を食い止めることができるのは森林だということ。
豊かな森林土壌の腐食物質が海の砂漠化を防ぐ大きな役割を担っているのだ。
海が砂漠化してからでは遅い。日本の沿岸域を石灰藻が我がもの顔で白く覆ってしまう前に、私たちは森と海のつながりを見直す必要がある。
「森林土壌の腐植物質が河川を経て海に流入しているところは海藻が繁茂し、流入していないところでは石灰藻が広がってしまうことがあります。森林土壌で形成された腐植物質は光合成に必要な鉄を海にもたらすだけでなく、岩や岩盤に石灰藻が拡大することも防いでいるのです」
この腐食物質と海の砂漠化の関係をさらに明らかにしていくために、有機物質(腐植物質)がどのくらい岩や岩盤に沈降しているのかという調査を松永先生は北海道で行っている。
河口域(図1 B、C、D)を除いて、砂漠化している北海道渡島半島の日本海側と海藻が繁茂している(図1 E、F)津軽海峡側において、岩や岩盤に沈降する有機物質量を測定したのが図1だ。
すると河口域と海峡における沈降有機物の量は25~83と高く、一方「海の砂漠化」が進むA地点での有機物の量は1で、ほぼゼロに近かった(表1/単位参照)。
沈降有機物質の起源を安定炭素同位体比(参考***)で調べたところ、海藻地帯で沈降している有機物質は陸から供給された腐植物質であることが分かった。一方「海の砂漠化」が進んだ地帯で検出された有機物質はプランクトンであり、腐植物質ではないことが分かったという。
「沿岸域での腐植物質の供給源は、山、森林土壌、湿地、水田です。植物プランクトンや海藻などへの鉄の供給において重要な役割を果たしている腐植物質が、海の砂漠化に対しても重要な役割を果たしていることがわかりました。近年、日本の沿岸域に石灰藻が広がる岩や岩盤が見られようになった背景には、山や森林から海への腐植物質の流入が減少しているからではないでしょうか」
海の生態系を育む鉄、砂漠化を防ぐ腐植物質。
これらは、山、森林から海に流れてくる。森と海のつながりは想像以上に強く、今、海に起きている現象は山や森に起因していることも多い。確かなことは森が豊かであれば、川を通してつながっている海も豊かである、ということ。海にさまざまな異変が起こっている今、私たちは改めて、森と海のつながりを考えてみることが大切だろう。
参考)
* 植物プランクトンや海藻などが光合成を行うには二酸化炭素や太陽光などに加えて硝酸塩、リン酸塩、ケイ酸塩などの栄養塩類が必要。このうち細胞内に取り込まれた硝酸塩はアンモニアに還元されないとタンパク質を作る材料にならない。この際の硝酸還元酵素に関係しているのが鉄である。鉄は粒子のため、そのままでは光合成生物が取り込むことができないが、腐植物質であるフルボ酸と結合することでコロイド形態(鉄イオンと同様)となるため、光合成生物が取り込むことができる。(詳細について、このfeatures 2022年11月21日掲載記事をご覧ください)。
** 海藻の1種。炭酸カルシウムを主成分とする。石灰藻は他の海藻の胞子の生育を阻む物質を分泌する。
*** 炭素には質量数の異なる2つの安定同位体があり、それらの割合を比較することで炭素の起源が解明できる。
画像提供:松永勝彦
取材編集:帆足泰子